同志社の赤煉瓦たち⑤ 明徳館


明徳館」は
中国の古典『大学』の三綱領の一つ
「大学ノ道ハ
明徳ヲ明ラカニスルニ在リ」に由来する。
第13代の 大塚節治 同志社総長が命名した。
新制同志社大学のシンボルとなる建物。

大きな教室「M21」は、
同志社EVEで大学のサークルで出店の
タイガースカフェをやったとこ。

そして裏手に
虎次郎の所属した文学部の研究棟、
この風景に立つと学び遊び、
そしてどこか照れくさい思い出も募る。

正面には1951とあるが...
1952年3月に第一期工事が竣工、
今のカタチになったのは第四期工事完了の
1954年10月の時だという。
これより高い位置にヨハネによる福音書の一節
"VERITAS LIBERABIT VOS"
(真理は汝らに自由を得さすべし)
と刻まれています。

食堂や靴屋、生協などがあったM地下への、
手狭なエントランスは学生の頃よりは、
少しは明るくはなっていたが...

低い天井に急な階段はそのままでした。

生協は新しい校舎に移ったようだ。

ここから見るキャンパスは懐かしい。

塔のたもとにあるのは、
ワイルド・ローヴァー号のタブレット。
新島襄が国禁を犯し、
函館から米船ベルリン号で出国。
函館~上海をベルリン号、
そして...上海~ボストンは
ワイルド・ローヴァー号で渡った。
船長夫妻の支援を受けて勉学に励んだ。



「同志社大学 明徳館」

建築年:1952年(昭和27)
構造:鉄筋コンクリート2階建て、地下1階、塔屋付
  (外壁 煉瓦色のタイル貼り)
設計:大倉三郎 施工:ミラノ工務店

このブログの人気の投稿

異界との出入り口《春日権現験記絵》

浦賀の湊てくてくvol.1 東叶神社

浦賀の湊てくてくvol.3 西叶神社

清水寺をあるくvol.2 清水の舞台から…

大阪のはしばしvol.11 瑞光寺のくじら橋