「私鉄王国」関西 交通科学博物館⑤


交通科学博物館」の運営はJR西日本
関西には路線網拡大にしのぎを削り、
スピードの「国鉄」とサービスの「私鉄」
といわれた長年の切磋琢磨の歴史がありました。
そんな鉄道各社の歩みをまとめたコーナー
関西の鉄道のあゆみ
っていうのをお送りします。

南海電気鉄道
虎次郎の職場の最寄駅でもある南海。
高野山か...
みさき公園ぐらいしか使わなかったけど、
最近はマイ路線になっています。
創業1885年(明治18年)、
営業キロ程 154.8km。

それぞれに顔ともいえる
車両の模型が展示されていました。
南海20001系「こうや号」
曲線で構成された前面が時代をあらわす。
1編成で1日1往復しかなかったようで、
なおかつ冬季運休だったので
お目にかかるのはレアであったそうな。

近畿日本鉄道
奈良に行くのはいつも「近鉄」、
お伊勢さんとか賢島には特急で行きました。
ナゴヤドームへの遠征は時間はかかるが
快適なアーバンライナーを愛用しています。
特急料金収入が「京阪」の総売上が多いって、
中高の鉄友から聞いたことがあります。
創業1910年(明治43年)、
営業キロ程 508.1km。

近鉄20100系「あおぞら」
近鉄といえば二階建ての特急が有名でした。
修学旅行用の団体専用車で、
小学校の伊勢への修学旅行で乗りました。
"ビスタ・カーで修学旅行"は小学生の夢でした。

そして関西私鉄といえば、
かつての関西4球団はすべて私鉄、
旅客収入と密接な関係にありました。

阪神電気鉄道
甲子園には阪神電車...
雨で中止が見込まれるときに梅田駅に、
「雨で中止の場合も
キップの払戻しはありません」
って貼り紙、
当然至極ながらも文句をいうのが大阪人...
創業は1899年(明治32年)、
営業キロ程 48.9km。

阪神5201形通勤電車
ジェットカー」と呼ばれる
加速、減速にすぐれた車両で、
阪神の路線軌道に対応した性能をもっています。
現在もこのカラーリングは一部残されていて、
青胴車」とも呼ばれてこれが近づくと
「普通」やとわかるのです。

京阪電気鉄道
中高大と通学で利用した京阪。
祖母のところに遊びに行くのも
電車だと京阪電車を使いました。
テレビカー」では
野球中継でお世話になりました。
5000系のラッシュ用扉の切り替え
はじめて見たときは感動しました。
創業は1906年(明治39年)、
営業キロ程 91.1km。

京阪2000系通勤形電車
最近はカラーリングが変わったけど、
やっぱりこの薄緑と緑のツートンが京阪らしい。

阪急電鉄
ひょっとしたら一番乗車数が少ないかも...
関西の私鉄って、
その沿線で人の雰囲気も違います。
阪急はやっぱペルソナってますからね
創業は1907年(明治40年)、
営業キロ程 143.6km。

阪急 2000系通勤形電車
あずき色は「阪急マルーン」は、
もともとマロン(栗)が語源だとか...
一説には戦前のブレーキシューが鉄製で、
舞い上がる鉄粉の汚れを目立たなくするため?

大阪市交通局
市営だけど私鉄には違いありません。
最近までは環状線管内には、
地下鉄しか走っていませんでした。
いわゆる縄張りみたいなもんですね。
創業は1933年(昭和8年)、
営業キロ程 129.9km。

大阪市営地下鉄 1200形電車
1958年の製造。
混雑時の乗降をスムーズにするため、
側出入口を両開扉になったそうです。
この車両から長らくこの車体塗色が引き継がれた。



そして西日本旅客鉄道ことJR西日本も、
今は“私鉄”でありますね。

321系通勤形直流電車
紺色とオレンジ色の配色には、
JR福知山線脱線事故の配慮とも言われます。

電車といえば、こんなのもありました。
サンフランシスコ・ケーブルカー



パタパタの列車案内とか...

かつての自動改札機...

集中管理盤とか大きいものたくさんあるし。

閉館後のこれらの、
貴重なコレクションの散逸が気がかりです。

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