横浜・山手西洋館をあるく 内田定槌邸

1910年に東京渋谷の南平台に建てられた、
外交官であった内田定槌(さだつち)の私邸は、
立教学校の教師として来日、
のちに立教大学の校長を務めたことのある、
異色のアメリカ人建築家 J.M.ガーディナーの設計。
天然スレート葺きに下見板張りの壁、
山手68番館」からかなりの距離があったので、
見つけた時はホッとした気分に包まれた。
もともとは和館も併設されていたようだが、
建物の老朽化が著しく、
1972年(昭和47)に取り壊されていたものの、
所有者であった内田定槌令孫の何とか後世に
この建物を残したいという気持に、
近代建築研究者であった 陣内定信氏が応えたかたちで、
1997年にここ移築復元されたものだという。
現在は付属棟の喫茶コーナーとの接合部に
和館の一部が復元されていた。
玄関(外観)
内田家の家紋「丸に剣三つ柏」

2階主寝室
大きな上げ下げ窓の手前にサンポーチ風のスペース、
左手の扉の奥には八角形の塔屋部分の小部屋。
そこにはかつて化粧台が置かれていて、
夫人のくつろぎの空間であったようだ。

食堂

階段部分の手すりと親柱。
内扉にはアール・ヌーボー風のステンドグラス。
北東面のガーデンから見ると
「とんがり帽子」の塔屋、
外観はアメリカンビクトリア様式だとか…


横浜市公開西洋館7館の絵葉書「外交官の家













内田定槌邸
→外交官の家
建築年:1910年(明治43)
構造:木造2階建て
設計:J.M.ガーディナー
所在地:横浜市中区山手町18・イタリア山庭園内
【国・重要文化財】


横浜の歴史的建造物ポストカード「外交官の家」

















※建物名をクリックすると
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