京の冬の旅2022 西陣の撞かずの鐘


鳴虎報恩寺のもう一つの"鳴き話"、
撞かずの鐘」の伝説が残る梵鐘。

国の重要文化財指定の梵鐘。
無紀年銘ながらもこう刻されていて、
「願此鐘聾超法界
 鉄圍幽闇悉皆聞
 三途離苦生安養
 一切衆生成正覚
 天下和順 日月清明
 風雨以時 災勵不起
 國豊民安 兵才無用
 崇徳興仁 務修禮譲」
真言陀羅尼の功徳への信仰が
盛行した平安時代後期の形式とか。

伝説はこうです…
寺の近くの織屋に丁稚と織子
奉公していた2人、
何かというと口げんか…ある日のこと、
寺の暮六つの鐘いくつ撞かれるか
丁稚は八つ織子は九つだと…
丁稚は"九つ"と知っていたのに、
"八つ"と言い張っただけのこと。

丁稚は寺男に暮六つを今日だけ
八つ」にしてくれるよう頼んだと。
翌朝 寺男が鐘を撞きに行くと、
鐘楼に帯をかけて絶命の織子

以後は朝夕の鐘は撞かれなくなり
除夜と大法要のときのみ
撞かれるようになったとか…
時がめぐって再現ドラマの撮影
織女役の女優が鐘楼の
梁にぶら下がろうとしたとき、
大けがをしたということがあったとか。
江戸の大火で失われなかった
"つかずの鐘"は除夜の鐘として…
西陣織の町に響き渡るのです。


客殿前に宮内庁の木版…
江戸前期の皇女・賀陽宮の墓所
後西天皇の第七皇女として出生、
享年9歳で幕を閉じたとか…

こちらは政長稲荷大明神とか…
報恩寺の客殿で死去したのは、
黒田長政なのですが…
なぜ"政長"なのか不明です。

覆屋もありきちんと
お祀りされていましたが、
どこか不思議な佇まいでした。

ほどなくゆくと東側に面する
通りにも"浄土宗鳴虎報恩寺"の
碑石の横に特別公開の看板。

寺門手前にはかつてあった石橋、
秀吉侍尼・仁舜尼が1602年(慶長7)に
寄進したものだそうで、
現在は埋められてしまった
小川(こがわ)の名残を止める
貴重な遺構の一つなのです。
仁舜尼は孝蔵主ともいい、
秀吉の正室 北政所付きの
筆頭上臈だったとされています。

擬宝珠に"慶長七年"の架橋の銘、
オリジナルは報恩寺客殿に
祀られていました。

賓頭盧尊者さま…
鳴きの報恩寺のこと、
いろいろとご存知なのだろうか…

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