京の冬の旅2022 岸竹堂の"虎"


正確に言うと「京の冬の旅2022
ではないんですけど…新春の虎に、
不審庵、今日庵のある通りに
山門を開く西陣の本法寺

岸竹堂(きしちくどう)の描いた"虎図"、
新春公開終了目前のところで見参。
岸連山の弟子で岸派の4代目
岸竹堂その人です。
彦根藩出身で狩野派を学び、
連山に弟子入りすると
娘婿として養子となったとか…
幕末の混乱期に元治の大火に遭い、
書き溜めた写生画や模写を失い、
一時丹後へ移るなど苦難の道。
友禅の下絵を描くなどし、
京都府画学校の教師となり
後進の育成にもあたりつつ、
西洋画を取り入れつつ画風を追求

明兆の虎十六羅漢図》より

雪舟の虎 《十六羅漢図》より
"伏虎羅漢"の虎とともに。

本法寺は1436年(永享8)、
日親上人創建の日蓮宗の寺院です。
日親は足利義教に意見して投獄され、
焼けた鍋を被らされたとの
伝承で知られています。
獄中で知り合った本阿弥清信の帰依、
本阿弥家の菩提寺となったとか。

1536年(天文5)の天文法華の乱
一時は都を追われ、堺に避難…
その後 一条戻橋あたりで再興、
秀吉の聚楽第建設でこの地へ。

『都名所図会』の絵図にみえる
本法寺
、大応寺、報恩寺、妙蓮寺
とともに千宗佐宅が描かれいて、
広い寺域を誇っていたようです。

多宝塔とその後ろに本堂

開山堂
境内の多くが京都府有形文化財

三の桐がここかしこに

秀吉との繋がりを感じさせます。

岸竹堂の"虎"は朱塗りの建物、
コンクリの宝物館におられました。
唐門の前にあるのは"説灋石"。
説灋(せっぽう)とは説法の意
日蓮上人が石の上で説法?…
もとは安倍晴明邸宅にあったとも、
石の運命も波乱に満ちる存在です。

岸竹堂の"虎"に話を戻します。
京都御所「諸大夫の間 虎の間」にある
岸岱が描いた虎図。水呑の虎も…

北面にはじゃれあう虎…

こちら初代 岸駒の"虎図"
岸竹堂は63歳の時に
サーカスで生まれて初めて
本物を虎を見たそうで

連日通って写生を続けたとか。

岸派系譜の虎たちとの
大きな違いは"虎の目"…
実際に生きた虎を
見たことのなかった先達、
目は猫の目を参考にしたとか。
虎を描くことへの執着の竹堂、
ついには発狂したとの逸話
も。
虎を描くことに命をかけた画家、
竹堂の"虎図"は制作年は不明…
ふたたび眺める機会があれば、
印象も変わるかも知れません。

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