京の冬の旅2022 鳴虎 報恩寺


今年は「京の冬の旅」は虎づくし
鳴虎(なきとら)」でしられる
京都市上京区小川通寺之内下ル
射場町にある報恩寺へ…

鞍馬街道でもあった堀川通から、
上立売通をはいると…

反対側に第58回 京の冬の旅
おなじみの看板が立ちます。
出会い頭事故が多いのか…
せまい上立売通の角にはミラー。
虎次郎写り込んでおります(-_-;)

おそらくこの辺りも寺域だったのやも、
最近ここにも京都市の解説板が
立てられたのだそうです。

玄関はかなり新しいようにも…
前身定かではなく創建年も不明とか。

寺伝によると室町期に内裏の北東
一条高倉にて開創とあり、
"法園寺"とか"法音寺"といい
天台・浄土兼学の寺だったと…
室町中期までは八宗兼学※1の
寺院だったのですが、
1501年(文亀元)に
後柏原天皇の勅旨により
慶誉が堀川今出川の舟橋の地に
再興し浄土宗寺院 "報恩寺"に。

「虎の図」は1501年(文亀元)に
後柏原天皇より下賜されたもの。
こちらは報恩寺の絵葉書より…
中国の画人とされる
四明陶佾(しめいとういつ)の
署名があることから、
宋か明の中国絵画とされています。
いわゆる"水呑の虎"でして、
毛の色や長さや方向が一本一本
さまざまに描き分けられていて、
いまでいう3Dの趣きがあります。
寅年の正月三が日限り
公開でしたので精密な複製画にて…

水を飲んでるので鳴き声は
聞こえてきそうにありませんが…
1585年(天正13)に豊臣秀吉によって
現在地に移転されてきた"報恩寺"、
その豊臣秀吉が寺宝の虎図を
"聚楽第"に持ち帰りに飾ったものの、
毎晩夜中に虎が吠えて
眠ることができず、
寺に返したところ静かになった…

"鳴虎"の由縁です。

報恩寺に伝わる秀吉像
住職が叔父にあたることもあり、
たびたび参拝していたとか…
秀吉が所望した理由は、
実は虎ではなく松の木にとまる
二羽のカワサギだったとも、
「カチカチカチ」と鳴くから
縁起が良いとされた
そうです。
虎は川鷺に横恋慕したのかも。

寺宝には織田信長肖像史上、
"最も馬面"といわれる信長像も…
賛文…ちょっと長いですが、
けきても名残つきせぬなみた哉
 猶したはるゝなきかおもかけ
つましきむかしの人やむかふらむ
 むなしき空のむらさき雲
たし世のあはれおもへハ明くれに
 あめかなみたかあまるころもて
ても猶見まくほしきハみのこして
 みねにかくるゝみしかよの月
つねてもたまのありかハ玉ゆらも
 たもとの露にたれかやとさむ
くるよのふしとあれつゝふく風に
 ふたゝひみえぬふるあとの夢
南無阿弥陀仏で綴られています。
実物に近い信長像とされていて、
2016年に寺外で展示されたのは
"馬の博物館" ちょっと笑えます。

客殿上段の間には黒田長政
長政の父 秀吉の名軍師 "黒田官兵衛"の
位牌が安置されています。
筑前福岡藩の初代藩主 長政が
1623年(元和9)に急死したのはこの地

長政と官兵衛の位牌
勘兵衛こと黒田如水の位牌が低いのは、
藩主と軍師の格の違いによるものです。

本尊は快慶作と伝わる阿弥陀三尊

1818年(享和元)に再建された客殿、
天明の大火で伽藍が焼失とか…
本堂・庫裏は残念ながら、
今日まで再建をみていないのです。

客殿前の枯山水

内庭も見せていただきました。

京の冬の旅のもうひとつの見どころ…
普段は京都国立博物館に寄託されてる
"大黒天像"さまで寺内公開は今回初、
伝来はくわしくありませんが、
大黒天と秀吉とのつながり
関わりがあるのかも知れません。

書き置きの御朱印を頂きました。

江戸期の『都名所図会』にも
"鳴虎"のことで綴られる報恩寺、
「当寺の什物に虎の画あり。
 四明陶佾の筆なり。
 秀吉公の時、
 聚楽亭にありて夜々声を発す。
 故に世人鳴虎と称す


・報恩寺
「京の冬の旅」8年ぶりの公開
 秀吉ゆかりの「鳴虎図」
 京都駅から地下鉄烏丸線
 今出川駅から徒歩15分
 市バス「堀川寺之内」より徒歩2分

※1 八宗兼学とは?
 八宗の教義を全て勉強していることで、
 物事を良く知っている様子も表します。
 南都六宗に天台宗と真言宗を加えた八宗のこと。
 古くは奈良東大寺がその道場でした。

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