京の冬の旅2022 御室仁和寺 白書院へ
御室 仁和寺へ…
そもそも"御室"という言葉、
第一世 宇多法皇の僧坊のことを指し、
もともとは"室"だけで僧坊の意味、
法皇のための住まいのため、
御をつけて"御室"と呼んだのです。
"京の冬の旅2022"の特別公開は、
建物内からの観賞式であったのを、
庭園に下りての"特別回遊ルート"。
ちなみに本坊表門は薬医門の形式で、
1887年に起きた旧禁禁裏火災、
その難を逃れた桃山期の遺構の一つ。
皇族門から南庭へ…
"皇族門"は四脚平唐門、
1914年に建てられたもので、
登録有形文化財です。
桟唐戸の上には透彫欄間…
南庭から1914年建築の
"勅使門"も間近に…
御殿の外からの勅使門…
こちらも登録有形文化財で、
本願寺唐門を模した形式を持ちます。
寄棟造に切妻造をのせた入母屋造、
この組み合わせの"入母屋造"が、
日本では最も格式が高いとか…
壁面や桟唐戸(さんからど)には、
鳳凰や花菱、唐草の図案化の透彫りm
その流麗さは圧巻でした。
元の勅使門は1887年に焼失、
再建の設計を手掛けたのは、
京都府技師であった亀岡末吉さん。
東京美術学校の絵画科を卒業、
内務省や宮城県技師を経て、
1907年に京都府技師の職に…
平等院鳳凰堂、東福寺方丈、
東本願寺の門なども再建。
実は仁和寺の宸殿、霊明殿は、
彼の設計で"亀岡式"と呼ばれます。
大玄関よりあらためて"御殿"へ…
明治以降の仁和寺について、
少し触れておきます。
1867年(慶応3)12月のこと、
純仁法親王が還俗され、
仁和寺宮嘉彰(あきひと)親王と
称されることになりました
《純仁法親王像》仁和寺
第31世にして院家の皆明寺から
初めて仁和寺住職が選出されます。
1871年には
門跡、院家の呼称も廃止…
仏教界への再編の波は、
仁和寺にも及んだそうです。
落ち着きがみえたのは、
戦後の1946年のことで、
真言宗御室派の総本山に。
"白書院"
1890年の木造平屋建、瓦葺、
表と裏に三室ずつ配る六室構成、
正面広縁を吹放しとしています。
旧宸殿としての格調を備える
書院となっています。
白書院からも南庭への特別ルートが
設定されていました。
白書院から勅使門、二王門を臨む。
白書院の襖絵の画題は"松図"、
1937年の福永晴帆の筆。
三室を通し四季おりおりの松、
松の幹が墨で力強く描かれ、
堂々とした構図が印象的でした。
福永晴帆は京都画壇の
重鎮だった森寛斎に師事、
伊藤博文随行で海外を巡遊、
英伊仏に留学して洋風を究めた人。
帰国後はどの公募展に出品せず、
どの団体にも所属せず、
個展によって作品を世に問うた画家。
仮宸殿として建てられたもので、
その後"宸殿"などが再建されると、
白書院と呼ばれるようになったとか…
表側の室境には竹の節欄間、
座敷にトコと棚を設えています。
金、緑、白が松をより引き立て、
"宸殿らしさ"を今に伝えています。
次回は宸殿へ…