京の冬の旅2022 松栄 永徳の聚光院 大宇宙


大徳寺に帰依した千利休
利休は生前に永代供養料を納め、
塔頭である"聚光院"を墓所と
定めていたそうです。
実は利休の墓は大徳寺にもう一基…
本坊の開山 祖師塔のうしろ、
基壇と築地塀との間のわずかの空間に
ひっそりと建つ宝篋印塔があるとか…。
聚楽屋敷で自害の首を失ふ遺骸、
ゆかりの大徳寺に引き取られ、
葬られたと伝わります。


"聚光院"の名三好長慶
御法名に由来しています。
1566年(永禄)に嫡男である
三好義嗣が父の菩提を弔うため、
大徳寺107世 笑嶺宗斳を請じ、
建立されたのです。
信長の直前の20年、
京畿・堺を支配した
最初の戦国天下人は三好長慶
その人であるとも言えるのです。

《絹本著色 三好長慶像》
 大徳寺 聚光院

松永秀長とともに下剋上の悪者、
などとされている武将。
鉄砲、キリスト教布教、石垣、
白壁の築城、茶の湯の確立、
津田宗達、宗及、今井宗久、
千宗易
らと交流して、
共生の存在の人 三好長慶

寺内はカメラNGでしたので、
この後の写真は絵葉書などより。
千利休とならんで三好長慶の墓石
特別公開でもここは見せてもらえず。
利休の供養塔はもとは船岡山
あったものを利休が好んだとして、
没後に墓標にしたものです。

狩野永徳の下絵を元に、
利休作庭と伝わる"百積の庭"、
生垣に沿って直線状に石が並ぶ…
ボランティアガイドの方も、
本堂室中の襖絵「花鳥図」と
相対するとも言われます

「お庭の解説は野暮です…
 日向ぼっこでもしてお楽しみを」

おそらく解説を求められば、
いろいろと紹介いただけたのかも…

コの字形に配置の襖絵、
梅の老木が広げた枝の下を
早春の雪解け水が勢いよく…
松の枝越しには遠く雪を頂く峰、
優美に羽を休める鶴に落鴈、
季節の移ろいが部屋をぐるりと。

父 松栄は方丈の中心の仏間を
弱冠24歳 長男 狩野永徳に…
息子の実力と名声が勝ることを
予見していたのやも知れません


特別公開では,
奥の仏間が開け放たれて…
仏壇下の小襖には〈蓮鷺藻魚図

壇那(だんな)の間に《琴棋書画図》、
水墨のみの花鳥図と異なり、
花木や着衣に朱や緑青、
代赭の色彩が加えられています

部屋ごとに筆法や画題、
手法替えするのは、
室町障壁画の約束ごとで、
臨機応変に描きこなす技を、
永徳は熟(こな)しています

狩野松栄は方丈裏側の間…
穏やかな筆致の《遊猿図》。
親子連れの一群をとらえ、
温かみのある和やかな一幕…

そして横には松栄の《虎図》、
虎の威風を表し部屋に
落ち着きを連れてきています。
《花鳥図》と"百積の庭"との対峙、
方丈を中心にした大宇宙…
狩野親子の大饗宴でした。


最後に…
「唐門の花頭窓より庭園を臨む」
1979年に「モナリザ」が来日…
その返礼としてフランスに
訪れたのは聚光院本堂 障壁画…
日本美術の粋はこの額縁から

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