京の冬の旅2022 興聖寺に渦巻くものたち
西陣興聖寺 特別公開の看板には、
法堂の天井龍と青い襖の渦…
深い青色と泡の様子がとても斬新…
スイスの時計ブランドの"ロンジン"から
「水の世紀の冒険家」と称された
杏橋幹彦さんの海中写真は、
酸素ボンベをやめて素潜り、
"波の懐に抱かれて"の青波の襖絵。
写真集『Blue Forest』の"青い海"、
住職さんは「京都に海ができた」
と喜ばれているそうです。
興聖寺方丈へ2021年2月に奉納…
後醍醐天皇の兄弟争いの為に
50数年続いた天皇家の内紛…
武家社会は臨済宗を特別扱い、
時代がめぐって徳川の世になると、
天台宗の天海が京の鬼門封じを、
江戸にも企図していったと。
その少し前1603年に興聖寺開創、
虚応円耳和尚を推薦したのは、
当時は織部を応援していた天海とか。
《絹本著色 藤堂高虎像》
曽谷宗浄 画 伊賀市・西蓮寺
杏橋幹彦さんと興聖寺…
藤堂高虎に繋がる誕生への
ストーリーがありました。
藤堂高虎に繋がる誕生への
ストーリーがありました。
1556年(弘治2)近江国生まれの
藤堂高虎は秀吉の弟 秀長に仕え、
2度朝鮮出兵に加わり、
伊予国板島7万石拝領の秀吉直属。
関ヶ原の戦い東軍で家康に仕え、
「天下に大事ある時は一の
先手を高虎、二の先手を直孝」
「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から
動かしてはならない」
上野東照宮には高虎像と天海像…
上野公園の地には津藩藤堂家屋敷、
東京上野は"伊賀上野"が関わるとも。
西蓮寺の高虎肖像画には天海の賛、高虎と天海の没年 1630〜43年に
描かれたものと言わています。
藤堂高虎は古田織部自刃後、
興聖寺の大檀那となり、
本堂本尊の釈迦如来像の左脇壇、
中華供覚盤の作とされる
禅宗の祖の朝鮮達磨像は
藤堂高虎寄進と伝えられています。
伊賀の地は織田勢により、
天正年間 伊賀の乱で灰燼に帰す…
藤堂家祈願所として庇護されてきた
名張市赤目町にある黄龍山延寿院、
伊賀の地を巡っていた杏橋さん、
藤堂高次が不動院観音堂を建て…
伊賀の郷を大切にしたと住持から
話してもらったことがあったそうです。
《今様擬源氏 四十一
新中納言平知盛》落合芳幾
杏橋さんのブログにもあった、
碇とともに身を投げる平知盛、
落ちゆくの青い海"壇ノ浦"…
杏橋さんの田舎に近い赤間神宮、
伊賀忍の伊賀平内左衛門家長の
墓所もあるのだそうです。
興聖寺の"青い海"には、
歴史の"うごめき"が潜んでいるのです。
こちら織部の遺した渦巻、
地面を深く大きく掘り下げ
螺旋状の石段を降りた先に
手水鉢を据えた「降り蹲踞」。
織部院号の雲了庵ともうひとつ、
織部の妻の院号の茶室は"青松庵"。
杏橋さんの"青い海"は、
"青い松"を思わせるようでもあります。
1689年の江戸期に建てられた仏殿、
天井には祖的なる人物が描いた
雲龍の渦巻きが修行者を
今も見守っておられるのです。
KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』
今日 2月20日 21:00から再放送…
見逃さないように予約しました、
新しい発見があるやもしれません。