顔をみせない神の描き方《春日権現験記絵》


【巻五第三段 俊盛卿事】

《春日権現験記絵》には同一構図にて
描かれるシーンがたびたびみられる。
こちら俊盛の往生の夢の事。
讃岐守 俊盛、雨中に春日社に詣でる。
こちらの縁に鹿が雨宿りしています。

【巻七第一段 経通卿事】

藤原経通、春日社に祈請して
栄達を遂げるを画く。
いずれも春日社中門が描かれていて…

【巻七第三段 近真陵王事】

巻七にはもう一度描かれる中門。
興福寺の僧 範顕、
夢に春日社に詣で、陵王の舞
奏すべき告げを受ける。
木の枝で"人物"の姿を見せていません。
絵師の高階隆兼の、
神の姿は描いてもさりげなく
顔は見せない配慮なのでしょう。


【巻十第二段 林懐僧都事】 

社殿から出現した神の姿は、
束帯を着た首もとまでは描かれるが、
顔は社殿の軒に隠れて見えないのです。
詞書には神は
「御けしきあらゝかに、
 御まなじりいとはげしくて、
 うちそむき給へり」

荒々しく目尻をつり上げて睨み、
ぷいと横を向いてしまったと
具体的に表情が記されている
場面にもかかわらず、
その顔はあえて描かれていないのです。
高い視点から描くことにより、
軒が被さって神の顔が見えない、
いえ見せていないのです。


【巻八第七段 離寺僧蒙神託事】

屋内の僧侶が庭に現れた神と
対面しているシーンも
木の枝でお隠れなのです。

【巻十一第三段 永万夢想事】

人以外の形で神を造形する例はいくつか、
神号などの文字であらわす、
神の乗物や神使となる動物、
春日の神々が鹿に乗って、
鹿島からやってきたという伝説に基づく。
もう一つが神社の景色をそのまま
描いた"宮曼荼羅"というもの。

【巻七第一段 経通卿事】

ただ縁起絵巻の主人公である祭神を
文字やお使い動物で
代用することはままならないし、
神の坐す神社の景色ばかりの
繰り返し描き続けるわけにもいきません。

【巻十第七段 教懐上人事】

ただ「験記絵」でも描かれる例外…
一つは三宮の神が
本地仏として現れる場面。

三宮の垂迹神は僧形で、
地蔵菩薩の本地仏で区別し難いが、
垂迹神の顔は肌色であるのに対し、
地蔵は白塗りで白毫があるのです。

【巻十二第三段 恵珎夢事】

もうひとつの白塗りは御所車に…
あえて御簾を懸けたりしないのです。

石山寺縁起絵巻》より

仏教の仏が描かれる場合の絵巻、
ことさら顔を隠さずに描かれる
のに
通じているのです。

【巻十第七段 教懐上人事】

夢の中で神仏と出逢うという情景、
眠る僧侶?巫女の前に現れた
春日女神の後ろ姿。
向きは逆だから断定できないが、
"後ろ姿にして顔を見せない"
ひとつの方法です。

【巻一第二段 竹林殿事】

実は前段では春日女神は、
顔をみせているのです。
まだ人から神として
祀られる以前の2場面。
「験記絵」 冒頭の巻で、
藤原氏の前に出現しこの地が
霊地であることを告げる女神は、
顔をあらわに見せる。

【巻一第三段 竹林殿事】

これに続く場面で竹林の上に現れ
春日大明神と名乗る女神も、
顔を明らかに見せています。

【巻十第七段 教懐上人事】

《春日権現験記絵》で
神が人から祀られる前の場面は、
非常に短くて神が顔を見せるのは、
全20 巻のうち巻一の第二段三段の
2場面に限られているのです。
祀られる前の神は顔を表すが、
祀られた後は神の顔を見せない、
という描き分けは神徳をあらわす
多くの縁起絵巻に見られるのです。


室町時代初期に描かれたとされる
浦嶋明神縁起絵巻》の一場面。
少しわかりにくいのですが、
木にもたれかかって浦嶋子。
涙をふきながらさまよい、
ついに玉手箱を開けてしまう場面。

天橋立の近くにある浦嶋神社に
伝わる祭神"浦嶋子"の絵巻で、
浦嶋子とは浦島太郎のこと。
たちまち老人になった惨めな姿も、
顔は隠さずに描かれています。


ただ神とされて仮社殿に像が祀られ
人から拝まれることとなると、
像の下半分は描かれても、
顔は屋根に隠されて見えないのです。

《北野天神縁起絵巻》

多くの天神縁起絵巻においても、
道真から怨霊としての出現や
雷神となって清涼殿に現れる
多くの場面で道真の顔が描かれる…
ただ…神となって祀られた後は、
社殿が描かれるのみで
決してその姿は表されないのです。


【巻十四第四段 隆覚僧正事】

冒頭の《春日権現験記絵》には
同一構図の話にチョコっと戻ります。
こちらは隆覚僧正、
夜中に春日社に詣でる一幕です。
類似的な構図を繰り返して異なる
ストーリーに起用することは、
絵巻の構成方法の一つです。

「春日験記」にはちょっとした工夫、
同じ中門を描いたシーンも各巻各段の
建物の奥行き表現の角度が異なるのです。

ふたたび【巻七第三段】、
縁側と中門入口の傾斜が5度ほど
緩やかに描かれているのです。
配置やトリミングも違いとともに、
どの視点から描くのかという
差があることが分かっています。
絵師たちが制作過程で
全く同じ構図にならないように
配慮したことが伺えるのです。


※中門を描いたシーンの角度
巻5-3  中門入口 47.3度
    縁側   46.7度 49.3度
巻7-1  中門入口 47.8度
    縁側   47.3度 50.5度
巻7-3  中門入口 43.7度
    縁側   42.8度 47.0度
巻14-4 中門入口 42.3度
    縁側   42.4度 44.9度


※このブログは以下の研究論文を参考にしました。
見てはならない神々の表現と受容
 ー日本の神々はどのように表されてきたか

 山本陽子 
「WASEDA RILAS JOURNAL NO. 4」2016年10月

「『春日権現験記絵』 構図分析
 ─描かれた建築表現の類型から─」

 佐藤 紀子 
 「Journal of Graphic Science of Japan Vol. 50 No. 3」
  2016年9月

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