みやこの国宝への旅⑥ 春日権現験記絵


国宝指定 答申中
絹本著色 春日権現験記絵
「けんぽんちゃくしょく
 かすがごんげんげんきえ」と読む。
上図は【巻二第三段 二条関白事】

【巻二第一段 寛治御幸事】

藤原氏の氏社、春日社の神々
霊験譚を集めた絵巻で、
絹に描かれた絵巻としては
現存最大規模の二十巻九十三段
1875年から3回に分けて
皇室に献上され、
丁重に護持されてきた御物

【巻十八第三段 明恵上人事】

沙石集』に
「春日ノ大明神ノ御託宣ニハ、
 「明恵坊・解脱坊ヲバ・・・」」
   に相応する場面。

【巻一第一段 竹林殿事】

1309年(延慶2)の目録が伝えるには、
目録の筆者 左大臣の西園寺公衡の発願。
弟にあたる興福寺東北院主の慈円
前大僧正らの協力を得て編纂したもの。
絵所預の高階隆兼が描いたとされ、
詞書は前関白父子 鷹司基忠、冬平、
冬基、興福寺一乗院良信
ら4人の分担。

【巻二第三段 二条関白事】

京博「京の国宝」で公開されたのは、
巻二と巻七でしたが全二十巻を
一括して収蔵していたのは、
皇居にある三の丸尚蔵館でした。
これまで"御物"は
文化財指定の対象外…
2017年に京都国立博物館が監修した
日本の宝KKベストセラーズ刊では、
国宝になることはない「国宝」
「宮内庁が管轄する皇室ゆかりの品々は
 国宝に匹敵する貴重な文化財ばかり。
 出会う機会があれば、一度は鑑賞したい」
と紹介されていました。

【巻十二第三段 恵珎夢事】

一緒に国宝指定が答申されたのは、
《紙本著色 蒙古襲来絵詞》(二巻)、
狩野永徳《唐獅子図》(一隻)、
伊藤若冲《動植綵絵》(三十幅)、
小野道風《屛風土代》(一巻)。  
官報告示後になるが、
美術工芸品の国宝は902件に、

こちら巻二
白河院が藤原顕季の説論により
討伐をとりやめた興福寺衆徒が描かれる。

蒙古襲来絵詞

今回の御物の国宝化には賛否さまざま
尚蔵館収蔵品は"宮内庁の預り"、
皇室の『宝』を観光資源に使おう…
そこまで明快な政府方針かはともかく、
「皇室を観光資源化する
 政府のやり方はいかがなものか。
 もっと丁寧に、
 敬意を払って扱うべきでは」
と、
「皇室の宝」を文化庁の「ランク付け」に
列せられることへの
「格下げ感」を持つ人も少なくない。

【巻七第一段 経通卿事】

 藤原経通の春日社参籠

【巻七第二段 開蓮坊夢事】


【巻七第四段 近真陵王事】


【巻七第四段 隆季卿家女房夢事】


【巻十五第二段 唐院得業事】

絵画表現は美麗を極め、
描写は細部まで的確と評されます。
それぞれ図像は藤末鎌初期の絵巻の要素を、
実に多くを学んでいるように思います。
【巻五第二段 俊盛卿事】

整理された構図と濃密な彩色が、
画面に華やかさを持たせて、
まさに御物にたる格調高さ。

霊験譚と関わらない動植物や
人の営みまでもが精緻に、
【巻十八第一段 明恵上人事】

美しく描き出される。
絵巻の古典として
後世まで尊ばれ、
しばしば京都で天皇を始めとする
人々の閲覧に供された。


【巻一第三段 竹林殿事】

京都で歴史的事業として制作された、
やまと絵の集大成というべき至宝。
制作過程がわかる絵巻は稀少ですが、
まさに"国宝"でも最高基準のもの。
【巻四第五段 俊徳大寺左府事】

2004年から13年にわたった修理、
再使用が困難であった表紙裂
軸首は選定保存技術保持者の
高度な技術により復元されたとか。
【巻十一第二段 恵暁法印事】

ちなみに表紙に用いられた綾裂、
皇后御親蚕の"小石丸"
柔らかな風合いとともに、
"みやこの国宝"が京都の地への
里帰りの展覧会でありました。

※このブログは以下の記事を参考にしました。

※各巻各段の内容については、
同志社大学 竹居明男 名誉教授の
春日権現験記絵備考」1983-1984年 によった。

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