みやこの国宝への旅⑨ 神に捧げられた大鎧


国宝指定 1951.06.09
小桜韋黄返威鎧
「こざくらかわ きがえし おどしよろい」
 と読む。広島・嚴島神社 所蔵。

「戦闘において体に着て身を守るための
 外装・防具と甲冑という」

「京の国宝」展の図録はこんな書き出し…
札(さね 札板とも)」と呼ばれる
鉄製や革製の短冊状にし、
漆で固めたものを上下に何段も
並べて絹糸や革紐で綴った防具、
「威す」とは縦に繋ぐことの意。
鞍の前輪と後輪(しずわ)に
あたらないよう前後の草摺は短く、
下腹部から大腿部を守る草摺は長く、
源為朝の奉納とされるが、
機動力を騎馬戦での実用の大鎧

鎧そのものの可動範囲が狭く、
兜鉢は肉厚の鉄一倍張り
十二間筋状の星兜
厳星(いがぼし)という複数突起、
兜鉢から垂れ下げて顔と頸を守る
𩊱(しころ)が緩やかに吹き返す古様。

国宝指定 1951.06.09
浅黄綾威鎧
「あさぎあや おどしよろい」
 と読む。広島・嚴島神社 所蔵。

源義家 所要と伝わるが、
時代の下がる鎌倉後期のものとか
札板が小ぶりで、
鉄札と革札を交互に重ねた一枚交ぜ、
鉄札だけの部分もみられ、
戦闘で受けた痕跡からも、
実用の「式正鎧」の格式をみせています。
兜の鉢は四方白星兜
眉庇には縦型の鍬形が立っています。
絵韋は獅子牡丹文染韋包
弦走と吹返の韋に不動明王と二童子

《紺糸威鎧》嚴島神社
 (国宝 1951.06.09指定)

平重盛 奉納と伝える大鎧、
京博開館120周年の国宝展には、
こちらが登場していました。
総体を紺糸で威しており、
ところどころ後世の紫糸で補う。
栴檀板・鳩尾板、袖の冠板など、
菱襷獅子丸文を表した染韋を張る。
兜鉢は鉄製十八間の星兜で、
眉庇・吹返は獅子牡丹文の染韋。
鳩尾板には大型の
金銅菊座据文金物を打つ。

《赤韋威鎧》岡山県立博物館保管
 (国宝指定 1999.06.07)

甲冑の"保存"という面で
国宝指定となっている
対極の国宝2領
紹介しておきます。
かつて備中国赤木家に伝来したもの、
兜の眉庇の染韋や金銅据文金物など、
鎌倉時代の一部改変されていますが、
総体に制作当初の姿を伝える逸品。

《白糸威鎧》島根・日御﨑神社
(国宝指定 1953.03.31)

吹返や胴の正面は不動明王像
雲龍や梅鉢紋の画韋(えがわ)、
画韋は鎌倉期末から
南北朝時代に流行したものだとか。
源頼朝 奉納として知られていたが、
松江藩主 松平治郷の命によって、
文化2年(1805)寺本安宅が
江戸で修復をおこなったという。

「文化2年修補」の文字を
染めた白韋を用い、
なくなっていた栴檀板や金具を補い、
修復記録「源頼朝卿修補註文」とともに
取り換えられた部材も修理記録
とともに保存されている。
違和感なく修繕する一方で、
後補部分を明らかにし
交換部材や修理記録を保管された点は、
現在の文化財修理の理念にも
通じる"国宝大鎧"だと言えます。


国宝に指定されている甲冑は
全て大鎧と胴丸でして、
当世具足といわれる戦国武将の鎧は
1件も指定されていないのです。

そのワケは??少し傷みの目立つ、
《赤韋威鎧》に答えがあります。

「国宝の多くの鎧は、この形が
 普及し始めた平安時代のもの。
 糸など繊維類は劣化しやすいため、
 多くはのちの時代に
 補修を受けていますが、
 この『赤韋威鎧』
 改変があまり入っていない。
 "うぶ"の状態のため貴重です。」
状態保護のため毎年1月に2週間ほど
岡山県立博物館で会うことができるのです。

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