みやこの国宝への旅⑨ 国宝に描かれた"やみ"


国宝指定 1952.3.29
病草紙 風病の男
「やまいのそうし
 ふうびょうのおとこ」と読む。

詞書
「ちこごろ(近頃)男ありけり、
 風病によりて ひとみ(瞳)
 つね(常)に ゆる(動)ぎけり
 厳寒にはだか(裸)にてゐたる人の、
 ふる(震)ひ わなな(戦慄)く
 やうになむありける、」

碁盤を指さし、女たちに
何かを確認しようとするも、
うまく見えない男…
おそらく脳神経疾患かと。

国宝指定 1952.3.29
病草紙 歯の揺らぐ男
「やまいのそうし
 はのゆらぐおとこ」と読む。

後白河法皇がかかわった絵巻に、
地獄草紙》《餓鬼草紙》があり、
京の国宝展」では《病草紙》が登場。
"風病の男"と"歯の揺らぐ男"の2点。
e-国宝では"歯槽膿漏の男"。
すべての歯がぐらつき、
落ちても抜けることもないので、
気になって仕方がないという。

こちら《後三年合戦絵巻》、
いま残るのは
鎌倉期14世紀になっての模本ですが、
後白河が作らせた原本とは違うものの、
合戦絵巻を作らせたという事実は
記録の中で確認できるそうです。

合戦や地獄といったダークサイド
また、自身の信仰に基づく仏の世界が
お気に入りの主題であったようです。

2018年に出版された『闇の日本美術』、
著者 山本 聡美さんは、
ちくまwebの対談記事
【古代・中世の「恐怖」マニア列伝】

見ることの政治学」というのが、
古代には強く存在したと言われる。
「つまり、見ることができる者こそが
 王権主宰者であるという考え方

 どのようなものであっても、
 仏の世界であっても、
 あるいは最底辺にある
 地獄の世界であっても、
 上から下まで全部見ることによって、
 それを掌握するという発想のもと、

 しかも、もしかすると
 後白河自身の嗜好として、
 仏菩薩の世界よりもむしろ、
 人間以下の世界、
 畜生や餓鬼や地獄の世界を
 ものすごくよく見たいという
 考えがあったのではないか。
」と。
リアルな死生が繰り広げられた時代。

九相詩絵巻
九相とは九想とも書く
人の屍が土灰に帰するまでに
変わっていく、九つの姿のこと。
浄土思想の高まりともに、
絵画化されて、貴族や民衆の
教化に資せられてきたもの。
"生前の相(すがた)"、
もとは「九相詩」の序があったろう。
左端には"新死の相"、
その足元がみえる。

こちら九州国立博物館蔵
九相詩絵巻》は現存最古の作例。

大阪・大念佛寺の《九相詩絵巻》、
両者を比較すると"新死相"以外は、
微妙に呼び名が違っています。
九博のは"第二肪脹相"とみえ、
大念佛寺では"脹相"とか。

この「九相図」はほとんどが女性
源氏も平家もそのあとの男たちも
 みな平等に怖がった、
 女性という存在です。
 女性の絵師というのは、実際は
 なかなか歴史の中には登場しません。
」※
女性の肉体を穢れたものとして
捉える考え方に基づくのが「九相図」…

地獄草紙》より

そもそも仏教は、
女性を救済の対象としていないのです。
こんなことを綴るとお叱りを受けるかも、
時として日本の中世は女性が、
経済力や政治的な力を持てた時代。
女性の信仰をいかにして
獲得していくかが、
重要な課題だったはずなのに、
逆軸に動いていた時代でもありました


ただ…男性は、他者としての
女性の肉体が執着に
値しないものであることを知り、
一方で信仰心の高い女性は、
自分の身体の穢れというものを
自覚するといったことが、
生まれてきた
ともみられています。
"闇の絵画"は男性と女性の視線の交差
だったのやも知れません。

《病草紙》眼病の治療

「京の国宝」では《病草紙》は
男性二点のみ出展でした。
あえて画を見せずに解説しますが、
「二形」(ふたなり)という
両性具有者を描いたものがあります。
両性ともの性器がしっかりと
描かれているのです。
顔を見てみると、
ほお紅と口紅を塗っています、
だけど烏帽子をつけてひげを生やし…
部屋の中に入ってきた男が、
大笑いをして見ているという一場面。

《職人尽歌合》四十八番 白拍子 曲舞

詞書を見ると、
「うらしありく」男だと…。
占いをして歩くという意味で、
鼓とか笛、首に長い数珠、
でもなぜ占い師が「二形」??
こちらも後白河の『梁塵秘抄』に、
その訳が数多く女装する"男巫女"、
男なのに女性の姿をした巫女、
つまりは口寄せをしたり
占いをしたりという仕事に
従事している者のがいたということ。
《職人尽歌合》の曲舞と白拍子
あわせたよう・・・
「東(あずま)には
 女はなきか男巫女
 さればや神の男には憑く」

京ではなく東…
周縁的な存在が詠われているとか。

国宝指定 1954.3.20
平家納経 従地湧出品第十五
「へいけのうきょう
 じゅうじゆじゅっぽん」と読む。

闇に対する光のこと
厳島神社に伝わるもので、
1250年(慶長2)の盗難に遭い
無事取り戻されことなど、
類稀な神宝はさまなざな困難に…

国宝指定 1954.3.20
平家納経 陀羅尼品第二十六
「へいけのうきょう
 じゅうじゆじゅっぽん」と読む。

源平と言いながら、
源氏と平家では全く違いますね、
ここに表現されたには、
同時代の貴族たちにとっても
違和感のある光
であったのかも。
そしてあとの時代の鎌倉時代の
美術の中にも、
この「光のインパクト」は、
受け継がれていない
と思います。

《病草紙断簡「不眠の女」》
 サントリー美術館

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に、
女が黒い闇の中にいて、
女のお歯黒に染めた口の中から
闇が蜘蛛の糸のように出てくる

というシーンがあるそうです。
燭台の炎だけがあって、
ほかの女性たちは皆寝ているのに、
一人だけ半身を起こして、
指折り数えて、今、何時だろう…(怖!!)

《後三年合戦絵巻》の冒頭にある
"吹抜屋台"のシーン、
"見ることのない"世界として、
区切られた場所でさえ、
死生とは切り離せないという
ことを暗示させているのでしょうか。

不思議なのは時代をこえて今、
"闇の美"の研究者に女性が多いのです。
男が女を怖いものだと思っていることを、
女性たちが語り継ぐ…
絵巻マニアの虎次郎から視ると、
"やはり女性には深みがおあり"…
そんな感想で締めくくっておきます。

※このブログはwebちくま
『闇の日本美術』刊行記念対談を参考にしました。


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