毛を刻まずに動物を象る・ポンポンさん


京セラ美術館で7月10日からスタート、
フランソワ・ポンポン展に行ってきました。
ポンポンって響きもカワイイ…
1855年にフランス ブルゴーニュ地方の
ソリューに生まれ、20歳の時にパリに出て、
ロダンをはじめとした彫刻家の下彫り職人、
そのキャリアは30年以上だったそうです。
動物彫刻家への転向は51歳のこと…
「動物たちは素晴らしく
 ポーズを決めてくれる。
 人間たちよりずっと上手にね。」


《牝豚と子豚たち》1929年
 サンパン産の石 ティジョン美術館蔵

ヨーロッパ彫刻史で動物表現が
発展するのは19世紀のことだそうで、
長らく格下とされてきた動物表現
"アニマリエ"は写実に基づいていました。
ブロンズの複製技術が高まり、
ブルジョワ邸宅用の需要が増えたとのこと。

《雄鶏》1913-1927
 ブロンズ パリ オルセー美術館

ポンポンの"なめらかな動物彫刻"、
ある朝の光のもと10メートルほど
離れたとことからガチョウの
美しい輪郭線を発見した…
これが一つの啓示だと語っています。

フクロウ》1923
 ブロンズ 群馬県立館林美術館

「大樹の下には何も育たない」
ロダンのアトリエを僅か数ヶ月で
去ったブランクーシ(1876-1957)、
その言葉は圧倒的存在のロダン、
19世紀から20世紀の彫刻家は、
そこからいかに脱して、
自らの様式を確立するか。
ポンポンはブランクーシより
一世代上でしたので、
ロダンの教えを受け継ぎながら、
対象の本質により迫るため、
フォルムの単純化に向かったのです。

カバ》1918-1931
 石膏 群馬県立館林美術館

ポンポンは動物園での観察から、
毛並みを省略し、エッセンスとなる
骨格と筋肉の形をなめらかな
シルエットでとらえています。
実物大で作るという希望を
展覧会などで実現していきました。
植民地政策に支えられ、
アフリカやアジアなどの異国から
パリの旧王立植物園付属動物園へ、
珍しい動物が集められていたことも、
ポンポンの制作力を支えました。

ポンポンといえば《シロクマ》、
ポンポン展では
白色大理石の《シロクマ》と…

ヒグマ》1918-1926
 ブロンズ 群馬県立館林美術館

この二点が撮影OKでした。
はちみつをなめるクマ」の異名、
ポンポンはスケッチ帳に、
ヒグマの胴体と三角錐を重ねて
シルエットの導きに幾何学を
用いていたそうです。

ヒグマ》1918-1926
 石膏 群馬県立館林美術館

ブロンズそっくりに
着色された石膏の作例。

ヒグマ》1918-1926
 石膏 群馬県立館林美術館


首でバランスをとって歩くことの
動きの印象を形にしたポンポン。
動きが彫刻に生命感を
与えるとする考えは、
30年前にロダンに学んだもので、
《歩く人》を生んだロダン
ポンポンは写実の理想化の
絶妙なバランスで
《シロクマ》を生み出したのだと…

シロクマ》1923-1933
 白色大理石 群馬県立館林美術館

ポンポンはロダンの怒りを買い
工房を後にしたという。
そのキッカケを作ったのは
共和国大統領の大理石胸像の
「下彫り」を依頼した
ルネ・ド・ポール・ド・サン・マルソー
ライバルのロダン工房から優秀な
ポンポンを引き抜いたということ。

シロクマ》1923-1924
 無釉硬質磁器 群馬県立館林美術館

1914年8月に第一次大戦が開戦
開戦告示と共にサン・マルソー
病に伏して、翌年死去…
ポンポンの助手の仕事は終焉に。
このことがポンポン自身の作品制作の
始まりになったとなったのです。

シロクマ》1923-1933
 銀合金 群馬県立館林美術館

歩く動きを解体し、
4本の足のつく位置と前足から
後ろ足へ伝える動きの方向を考えた、
ポンポンの命運をかけたこの時、
約束されたように、人々が豊かさを、
戦争の恐怖が終わった幸福を
味合うタイミングに重なったのです。


京セラ美術館にほど近いところに、
京都市動物園があります。
かんさつしーと」なるものが、
子ども向けに配られていました。

後ろはこんな感じに…

雉鳩(キジバト)》1919
 ブロンズ 群馬県立館林美術館

その後ヨーロッパはモダンな
アール・デコの時代を迎えました。
居住空間の内装の変化も現れ、
上流階級の好みに沿っていきます。
ブロンズは濃密な黒色の色付け、
鏡面仕上げを得意とした
ヴァルシュアニ鋳造所ことで、
さらに評価を受けたようです。

ボストン・テリヤ「トーイ」》1931
 ブロンズ
 ソリュー、フランソワ・ポンポン美術館

アトリエに何度も訪れた
老舗チョコレート会社の人の愛犬。
後足をぴんと伸ばした
愛嬌のある顔つき…
モデルへの暖かな眼差しを感じさせます。

シロクマ(頭部)》1930
 ブロンズ
 ソリュー、フランソワ・ポンポン美術館

1933年5月、ポンポンは最期に
病院へ向かう前に部屋に残したメモ、
「ポンポンは田舎に行っています。」
かつてアトリエの扉に付けられていた
《シロクマ》は故郷の美術館の壁を
飾っているのだそうです。


》1925-1929
 石膏 群馬県立館林美術館

多くの作品がさまざまな素材で
生み出されたポンポンの作品、
台座は鋳造のタイミングで変化したが、
当初は自然主義だったのが、
表現に動きが出てくるのに伴い、
長さの異なるヴァリエーションが
より繊細でなめらかな質感で作られた。
飛ぶ猪は最初は、
針金で吊られる形だったそうですが、
階段状の台座という
モダンな解決を導き出したポンポン。

縮小サイズの
大理石の《シロクマ》を制作したとき、
頑丈にするために隙間をなくしました

ポンポンは複製制作を手がけつつ、
重心が足の結束点に定めたのだと…
ポンポンの造形と台座
それはポンポンの作品が
いまなお大地にしっかりと
根付いていることでもあるのです。

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