太子霊場めぐりvol.20 命蓮と尼公



信貴山朝護孫子寺 開山堂に、
命蓮上人像が祀られています。

是 聖徳太子 弘法大師
 命蓮上人 歓算上人
そして四国八十八ヶ所霊場 道
本坊側から開山堂へ。

しばらく行くと…命蓮塚の←

開山堂の裏手に至る道でした。

命蓮上人の扁額のある格子から、
見入ると命蓮上人の姿…
その前に座す婦人像?

こちらが命蓮塚なのだとか…

信貴山縁起絵巻「尼公の巻」は、
幼い頃に命蓮と別れた姉、
信濃の尼公が、
生きているうちに弟と
会いたいと願って処方を
訪ね歩くという話…

訪ねあぐねて、東大寺の大仏に祈ると、
夢告をさずかり、信貴山の方向へ
行けと指示される。
そのとおりに信貴山へ行くと、
念願がかなって姉弟が
再会できるというものでなのです。

東大寺と聖徳太子信仰の繋がりは、
東大寺の中興の祖である重源
東大寺勧進事業への活用の目論み
あったことを示しているものです。
重源が生きた平安末から鎌倉期、
高野山、四天王寺、善光寺を結ぶ
勧進ルートが成立していました。


重源上人坐像(奈良・東大寺)

実は…
磯長太子廟が暴かれるという
事件が起きていて、
重源の裁量で始末が
付けられているのです。

太子信仰の元締めが重源その人、
東大寺に聖徳太子の寺としての
位置づけを積極的に加える。
太子信仰とそれに連なる諸信仰、
復興すべき大仏と同じように、
宗派信仰を超えたものを目指したと…


開山堂には弘法大師の姿も…
絵巻に東大寺大仏殿が
描かれているのは、
信貴山朝護孫子寺の霊験も、
重源の振興拠点の一つとして、
みられているの所以とか… 
※1

「尼公の巻」に戻ります…
旅する尼公に対して、
すすんで火桶や食事を用意したり、
尼公の出自が明らか否かは別として、
地方の人情の厚さを感じさせます。

命蓮の行方を尋ねる尼公、
老尼僧の旅が珍しかったのか、
庶民の興味と好意が入り交じります

市井の人々も興味津々…
信貴山縁起絵巻がもともとは、
貴族の手にあったであろうから、
描き手がこれらの場面を
長く費やしたのは、
どのような意図があったのか。
院政期から武士の時代へという、
新しい時代の感性がなせる業か

リアリティの在り方からみても、
時代の精神の変化を感じます。

紫雲棚引く山に尋ねよのシーン…
墨の輪郭だけで描かれる尼公
「異時同図法」にて描かれています。
自分の意志で行動していた姿でなく、
大仏の霊夢に導かれた行動の辿りは、
"意識の異なるもの"を示している…
そんなことを伝えたかったのでは。

鹿が尼公を出迎えるように…
鹿の動き はあることを示しています。

「飛倉の巻」
空飛ぶ俵を見上げていましたが、
剱鎧童子が飛行したときには、
鹿は登場していないのです。


命蓮と尼公の対面

命蓮の住房は尼公の到来によって
大きく変化をみせるのです。
懸崖に舞台が張り出し
閼伽棚が設けられます。
閼伽棚とは、
仏に供える水や花などを置き、
また仏具などを載せる棚のこと。

大仏殿での「異時同図法」とは異なり、
はっきりとした筆使いの尼公らの姿。
能楽でいうところの間狂言のよう、
すでに予想される結果を
 分かっている観客して、
 しばらく待たせるという
 心にくいやり方
」※1

開山堂に戻ります。
命蓮上人の塚にほどちかく、
竹囲いをした土盛り…
ここにお姉さんの尼公が
眠っているのだと…

開山堂の堂守のお母さんが
説明をしてくれました。
続けて…
開山堂の命蓮上人像の前の、
婦人像は誰の姿なのか??

尼公とされれば座りがよいのですが、
実はこの堂の補修に寄進をした、
あるお方の肖像像なのだとか…

よく見るとそれぞれの仏尊には、
木札が付くがこの婦人像だけは、
札がありません。

朝護孫子寺に伝わる命蓮上人像
礼盤の前にはとともに
信貴型水瓶が並ぶ。
赤肉身の仏尊は剱鎧童子
黒雲と稲妻を従え、
朱塗りの碗のようなものは、
飛鉢であり飛竜が頭に戴く。

奈良博であった信貴山縁起絵巻展、
エントランスで飛んでいた鉢…
飛鉢護法、剱鎧護法…
「尼公の巻」では護法は、
登場しませんが…

巻尾に山崎長者の飛倉が
その瓦屋根をみせますが、
毘沙門天は詞書のみなのです。



※1 このブログは田中恵さんの
「信貴山縁起絵巻の構造を読む」
を参考にしました。
(2003年 岩手大学教育学部研究年報62所収)

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