南海ホークスをたずねてvol.1 南海羽車
なんば駅高島屋の正面入口、
見上げると…
車輪に羽根が生えた荘厳な
レリーフがあります。
南海ホークスの親会社である
南海電鉄が1972年まで
その社章としてきたデザイン。
マークの制定は1866年のこと、
阪堺鉄道 創業間もないころ。
ドイツの農園で使用の車体を輸入、
窓のカーテンに
羽車のマークが付いていたので、
「車に羽根が生えて飛べは
"早い"と言ふことのシムボルとして
申分あるまい。」と、
会社のマークに採用したとのこと。
その後南海電鉄となってからも、
羽車の軸の左向きであったのを
右向きに直してたのだそうです。
南海ホークスの戦前史、
1938年に南海鉄道を
親会社として結成された
南海軍が元々の球団名。
1944年の戦時統合で
南海鉄道が関西急行鉄道と合併、
社名が近畿日本鉄道となり、
球団名は近畿日本軍と改めた。
戦後の1946年プロ野球が
8球団で再開でリーグ復帰。
球団名が「グレートリング」、
近畿グレートリングと
呼ばれることもあった。
1947年6月1日に旧南海鉄道の
事業一切が近畿日本鉄道から
南海電気鉄道に譲渡された…
近畿グレートリングの名は、
約1年で消えてしまった。
“グレートリング”の由来は
機関車の大動輪の
『大』を英語のグレート、
『輪』を同じくリングとして
繋げたまさに和製英語。
戦後間もない頃の球場には、
いわゆる GHQ や駐留米兵の
姿が多くありました。
"kinky" という英語には、
性的な変態、倒錯を意味を持ち、
近畿大学さんの英語表記は、
KINDAI UNIVERSITYに…
以前の大学グッズには、
キンキ・ユニバーシティとあり、
他大学も含め外国人学生らが、
面白がって買いに来ていたとか。
『南海ホークス四十年史』
にはこうある…
「この「グレートリング」が、
占領期にアメリカ人の観客から、
しばしばわらわれたらしい。
「アメリカでは女性の性器を
俗語でそういっている」。
その名を占領軍の米兵は、
「大声で囃(はや)し立てた」。
こんな状態のままでは、まずい。
だから、球団名を
南海ホークスにかえた。」
『南海ホークス四十年史』
にはこうある…
「この「グレートリング」が、
占領期にアメリカ人の観客から、
しばしばわらわれたらしい。
「アメリカでは女性の性器を
俗語でそういっている」。
その名を占領軍の米兵は、
「大声で囃(はや)し立てた」。
こんな状態のままでは、まずい。
だから、球団名を
南海ホークスにかえた。」
でもキンキの方がヤバかったようです。
南海ホークスとなり、
Nに大車輪のHをつけました。
その後の南海の社章…
新「はぐるま」になります。
両翼は南海線、高野線の幹線、
車輪は具象化が避けられ、
周囲を囲む円としての
南海地域を表現されたもの。
現在の車両に付くのは、
こちらの翼で輪はありません。
「ファインレッドは南の海に
輝く太陽のような企業の情熱、
ブライトオレンジは、
おおらかで明るい
ヒューマンな心を表している」。
コーポレートシンボルとして、
こう説明されています。
※このブログは国際日本文化研究センター
井上章一 教授のコラム
【井上章一の大阪まみれ】
「改名の起源はホークスにあり」を
参考にしました。
南海ホークスとなり、
Nに大車輪のHをつけました。
その後の南海の社章…
新「はぐるま」になります。
両翼は南海線、高野線の幹線、
車輪は具象化が避けられ、
周囲を囲む円としての
南海地域を表現されたもの。
現在の車両に付くのは、
こちらの翼で輪はありません。
「ファインレッドは南の海に
輝く太陽のような企業の情熱、
ブライトオレンジは、
おおらかで明るい
ヒューマンな心を表している」。
コーポレートシンボルとして、
こう説明されています。
※このブログは国際日本文化研究センター
井上章一 教授のコラム
【井上章一の大阪まみれ】
「改名の起源はホークスにあり」を
参考にしました。