兵庫区を歩くvol.2 ちぢみさん~西出鎮守稲荷
江戸時代の寛政年間には、
鎮座していたとされる鎮守稲荷。
地元 西出町の人たちからは、
「ちぢみさん」として親しまれる社。
垣塀沿いに2つの案内板があります。
一つは
「高田屋嘉兵衛の献上灯篭」。
文政7年(1824年)に
海の豪商として活躍した
高田屋嘉兵衛は、
淡路生まれ。
箱館を基地として、
エトロフ島を開発経営、
箱館の繋栄を築いた人です。
石灯籠は文政七年の献上で、
すでに喜兵衛は出身の淡路島に
引退している頃ですが、
育ててくれた兵庫・西出町への
思いを伝えるものです。
18世紀の初頭のころの
当時の蝦夷地は、
ロシア人がエトロフ島などに渡来、
アイヌ交易を危惧した幕府は、
国防対策を急いだ時期でした。
嘉兵衛は幕府の要請を受け、
エトロフ島とクナシリ島との
安全な航路を発見したり、
新たな漁場を開くなど、
北方の開拓者でありました。
もう一つの看板は
「鎮守稲荷のビリケンさん」
ビリケンさんは1908年に、
米国の女性彫刻家が夢に見た
神様をモデルに作ったものとか。
通天閣のビリケンさんは有名ですが、
戦前に作られたビリケンさんは、
国内では2体だけで…
もう1体はお隣の東出町の
松尾稲荷神社にあるそうです。
ガラス越しに本殿を覗き込むと、
昭和期に作られたピリケン菩薩。
胎内には「昭和五年十月五日」と
記された小石があったとか…
福の神「松福様」として篤い信仰を
集めているのですが、
こちらは足の裏をくすぐり、
笑えば願いが叶うというのは、
ちょっと出来ないのですが…
足の裏を触らずとも、
どこか微笑んでおられれます。
境内にはほかにも「玉乃井」
安産守護の日向神社
そして…
平清盛の弟・経盛の第二子である
平経俊(たいらのつねとし) の塚、
夜泣きの神様として、
"赤いよだれかけ" がかけられています。
『福原鬢鑑』によれば、
古くは佐比江の堤にあったとか。
湊川の合戦で鵯越(ひよどりごえ) の
守備に就いていた平経俊は、
わずか18才であったという。
ところで、なぜチヂミと
呼ばれてるのか?
地神さんとも書くようですが、
痛みが鎮まる、チヂむからチヂミで
"鎮守" に由来するそうです。