ブレーブスのあった頃⑥ ブレービーと"中の人"


ブレービーの誕生は、
1981年4月11日。
MLBには各球団に
マスコット・キャラクター、
試合中にも観客を盛り上げていた。
ヤクルトと日本ハムにもいたが、
ファンサービスとして球団が
その導入に力をいれた先駆。

で…ご存知“中の人”は、
ジャイアンツのドラ1位、
その後 阪急ブレーブスにも
所属した島野修さん。
「中の人などいない!」
とよく言われるように
マスコットはマスコット。

“中の人”を意識しつつも、
唯一公になっていたのが
「ブレービー」なのです。

球場で配られたラッキーカード、
1982年にはしっかりと定着。

MLB サンディエゴ・パドレス
サンディエゴ・チキン
がモデルだと言われています。
とうのも球団関係者から、
「マスコットは、
 野球をよく知っている人
 でないと務まらない、
 重要な役割だ」と、
サンディエゴ・チキンのVTRを
見せられ説明を受けたそうです。
島野さんを推薦したのは、
阪急の選手会長 加藤英司さん。
「マスコットなら、
 島野が適任だ」
と…
実は島野さんはブルーウエーブ
ネッピーとして続投していて、
1998年でネッピーのアクターを
引退するまで、1175試合
ただの1試合も休む事なく、
マスコットを演じ続けた…
ちなみに今の"トラッキー"とかは、
二交替制だとか(TдT)
阪急電車の表示板にも登場。
ブレーブス50周年記念のテレカには、
アニメチックなブレービーが微笑む。
今や各球団のマスコットには、
妹や弟なんてチビキャラがいるが、
実はブレービーには子供がいて!
勇太」と名乗っていたらしい。
1988年に登場し命名は一般募集、
ただ…この年で阪急は球団譲渡、
息子ちゃんはどこに行ったのか?
レジェンドデーとかで、
オリックス球団は美味しいとこどり。
でもでも…
山田久志さんのアンダースローも、
復刻はありえない。
初期のヤンチャなブレービー。

投手出身だった島野修さん、
島野さんが扮したブレービー、
投手心理がよく分かるのです。
炎上して降板した
傷心の投手にも、
さりげなく寄り添った

※このブログは
 あい ウオッチ baseball!!-敗戦処理。
 を参考にしました。

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