南海ホークスをたずねてvol.7 野村克也ビフォー・アフター
1975年に描かれた
第6巻第4章の扉の野村克也。
対大洋オープン戦。
野村兼任監督のポジションを
狙う和田徹。
先発入りをアピールしたい
彼の活躍が描かれています。
江本孟紀氏の推察によると、
そもそも東映フライヤーズの
選手だった江本をトレードで
南海が獲得したのは、
「ノムさんが、
自分と立場を脅かす
高橋博捕手を放出するため。」
当時37歳の野村にとっては、
「チームの後継者より
自分の立場」だったとか。
高橋博 捕手は移籍後…
公式戦の1試合で、
全ポジションで出場している。
1974年9月29日の南海との対戦、
ダブルヘッダーの2試合目のこと。
「三番・一塁」でスタート、
2回に捕手、3回に三塁手、
4回に遊撃手、5回に二塁手、
6回に左翼手、7回に中堅手、
8回に右翼手、
最後の9回はマウンドに立って
打者1人を抑え、交代。
当時は1試合の限定がなくても、
誰一人達成者がいなかった
全ポジションを守った記録。
正捕手に野村克也がいたため
内野手をしていた経験…
「別にどのポジションでも
平気でしたよ」と高橋選手。
1976年の南海ホークスは2位、
前年の前期5位、後期3位で
通算5位からの変革が起きた年。
江本らを放出して阪神から
江夏豊を獲得した。
「球界に革命を起こそう」
野村監督の殺し文句で1977年。
佐藤道郎が先発中心に12勝、
前期2位となるが…
だが、後期に野村監督の
フロント確執が表面化、
9月には解任となってしまう。
ロッテ移籍後の野村を表紙、
「生涯一捕手」のタイトル。
ちなみに景浦安武は2009年引退、
"生涯一ホークス" でバットを置く。
その後の野村克也さん…
ID野球でヤクルトで常勝監督に、
そして「マー君神の子不思議な子」、
"生涯一ホークス" でバットを置く。
その後の野村克也さん…
ID野球でヤクルトで常勝監督に、
そして「マー君神の子不思議な子」、
カツノリと一緒に同じユニを着る。
新庄剛志は継承者と自負があるとか、
現役復帰を目指しているとか…
野村DNAはイマのプロ野球に
広がっていると言えます。
水島新司さんが
「女性プロ野球選手を描きたい」
というアイデアを打ち明けたとき、
「その投手にしかないボールがあれば、
ワンポイントとしてなら
通用するかもしれない」と答えたとか。
実写劇場版で野村克也はコレに出演、
オープン戦に登板した水原勇気を
「女の球を打っても自慢にならない」
と笑っていたのに、
直接対決で打ち取られてしまう。
水原勇気はいったん引退しますが、
かつてのチームメイト、
国立玉一郎の娘である珠美に
ドリームボールが受け継がれます。
その後40歳過ぎで投手コーチ兼
選手として復帰を果たします。
東京メッツがあったなら、
野村克也 vs 水原勇気、
大阪球場は満杯になったかも…