四天王寺七宮めぐり 参 小儀宮
四天王寺東大門の東の延長線上、
明治の終わり頃 1907年まで、
「小儀神社」が座しておられました。
マンションの外周の石垣、
この一角だけ凹んで碑石が
まとめられています。
小さな案内板には
「御祭神 素盞嗚命は
明治四十一年九月、大江神社に
合祀されました。…」と。
刻石にはこうあります
「此地村社小儀宮の跡地なり。
明治41年9月25日 官許を得て
神社を郷社大江神社境内に移し
以て祭祀を嚴にす。
将来 旧地の煙滅を憂ひ
地の一隅を卜し
碑を建てて之を表す。
大正3年8月1日」
四天王寺の東門
鳥居の扁額のある西門にくらべ、
こちらから参拝する人はまばら。
東大門と石柱に刻まれる
仁王像が護られています。
《浪華百景幷都名所 四天王寺東門》
長谷川 貞信が描いた門には、
仁王像は見られないが…
門内にある伊勢神宮遥拝石、
東方にある伊勢神宮を
ここより遥拝するもので、
「影向石」"ようごういし"
とも呼ばれるもので、
もとは門の階段のすぐ下に
あったのを明治年間に
門内に移したとか…
『天王寺誌』によると、
「影向石 処ハ東門ノ前ニ在リ、
按スルニ是 天照太神
影向ノ之処ナリ也」
四天王寺境内にある「牛王尊」、
中心伽藍の北西に位置する、
鬼門を守る位置にあるお堂。
祠内には牛が祀られていますが…
かつて四天王寺造営のとき、
資材を運んでいた牛が、
伽藍の完成とともに
石神となったという伝説。
その巨石が地中に埋まっているとも。
小儀宮の話にもどります…
江戸時代の古地図には
「牛頭天王社(小儀宮)」
とあることから、
かつての祭神は行疫神・牛頭天王、
それを明治初年の神仏分離を受け、
牛頭天王が仏教色が強いとして
排斥されたのかと思われます。
同じ神格をもつ「素盞嗚命」に
垂迹したのでしょうね。
四天王寺の中心伽藍の
鬼門封じに「素盞嗚命」が
祀られているのは興味深い。
としているのやも知れません。