赤備えの陣へ 道明寺の戦い
真田幸村ら援軍の到着が
遅れなければ…
後藤又兵衛率いる先鋒隊が
全滅することもなかった…
タラレバの想いが募る道明寺合戦。
時に慶長20(1615)年5月6日
道明寺に着いた
豊臣軍の後藤又兵衛は、
幸村らの遅着を知り、
これ以上は待てないと
石川を越えて
東方の国分にある小松山へ。
幸村が道明寺入り遅れのワケは、
濃霧のためだと伝わる。
単独軍となってしまった
後藤隊はまさしく孤立無援。
近鉄道明寺駅前の地域情報板には、
「真田丸に道明寺が登場」と踊る。
駅前には天満宮の常夜燈。永代油料の碑石がそばに。
東高野街道沿いにある
「道明寺天満宮」。
もとは土師氏の氏神として、
のちに土師氏の子孫で
つながりの深い菅原道真を
祭神に加え天満宮となったそうです。
神仏習合で運営されてきたので、
江戸期出版の『河内名所図会』には、
全体が「道明寺」として描かれ、
本堂と社殿が東西に並んで…
道明寺が「道明尼寺」、
天満宮で社僧と呼ばれる僧侶が
神前で読経していたようです。
道真がたびたび訪れたとして、
故郷として詩に詠むほど縁。
遺品所蔵の唯一の天満宮
として知られています。
本殿・幣殿・拝殿のある
構造の権現造りの檜皮葺き。
詳しくはわかりませんが、
江戸時代初期に建てられ、
中ごろに移築とか…
梅鉢
境内には巨大な石を運ぶための
ソリの古墳時代の修羅(しゅら)。
天満宮内の三ツ塚古墳の周濠から
出土したものの「復元修羅」。
この地は土師氏の領地で、
修羅を使った土木技術も
土師一族のものだろうかと。
早梅が咲いてました。
道をへだてた「道明寺」。
真言宗御室派の尼寺。
織田信長と三好康長で争われた
「石山合戦」のうち
1575年の「高屋城の兵乱」で、
1575年の「高屋城の兵乱」で、
寺院の伽藍が荒廃していたから…
大坂夏の陣のころについては、
詳しい記録がありません。
広大な境内に五重の塔、
金堂等をはじめとする
七堂伽藍の大規模なもの…
礎石が当時のものなのか。
寺名の道明寺は
道真の死後に改められたもの、
道真の号「道明」に由来します。
大坂夏の陣を後世に伝えるため、
「道明寺合戦まつり」などが
開催されるところです。
三ツ塚古墳を構成する
三つの古墳のうち、
一番東にある助太山古墳。
残り二つは宮内庁管理で、
ここは国の史跡。
ロープだけなので立ち入れます。
こちらは古室山古墳。
標高が約39メートル、
視界をさえぎる巨木が少なく、
この眺望で夏の陣には、
砦として使われたのかも…
知れません。
駅前のヤマザキデイリーストア、
道明寺のお酒がずらり…