豊橋 近代化遺産をぶらり〜豊橋市公会堂


イスラム風?ロマネスク様式??
モダン建築のセセッション?
スパニッシュ様式でもあり、
ドッシリとした豊橋市の
シンボルともいうべき
豊橋市公会堂」へ。

階段室の半円形ドーム屋根。

来場者をホールへと導く外階段。

市制25周年の記念建造物は、
大階段・コリント式列柱による
玄関ロッジア・両脇の階段室が
堂々たる正面ファサードを構成。

正面入口の意匠は、
アメリカのテキサス州に建つ
サン・アントニオ市公会堂
似ているとか…
・5連アーチ型のエントランス

・それをはさんだ形の左右の塔
・その上のドーム
・ドームに描かれた幾何学模様

・壁面頂部のアーチ型の帯

・正方形に伸びる搭上部の
 角を削っているところ
などなどソックリなのです。


こちらサン・アントニオ市公会堂。


ドームはこんな感じです。

スパニッシュ的な要素として
挙げられるのが、
幾何学模様のドームとともに、
塔1階窓に付く鋳鉄製鉄格子
とはいえ、
スペイン瓦やスタッコ壁はなく…
外壁上部の連続する
小アーチ型の持ち送り…
小さなアーチ窓のなどは、
まさしくロマネスク様式。
様式はともあれ…
公会堂が豊橋にと願われたのは、
大正デモクラシーのさなか。
建設のチャンスが巡ってきたのは、
第一次大戦後の恐慌下とか。

名古屋電燈㈱と豊橋電気㈱との
合併に伴い公会堂を寄付することが
決まったのですが、
電燈料の値上げを危惧してか、
市民には受け入れられないとの、
反対運動が皮肉も起こったそうです。

建設予定地が高等小学校の移転と、
それに伴う付加税が市会で、
提案されたりして、
一時計画が頓挫しています。

大天奉祝記念事業として、
建設が決まったのが
1928年(昭和6)9月のこと。
市政施行25周年の記念すべき
年に合わせたものでもありました。

正面中央のアーチの形状からも
ロマネスク様式の影響がありありと…

ただ設計者の中村 與資平(よしへい)
中村工務所に残る仕様書には、
バロック様式を意味する「近世式」。
復興式」と当時呼ばれた、
西洋建築のルネサンス様式を
基調とした様式とも言われています。

辰野葛西建築事務所に入ったのち、
朝鮮銀行の建築顧問として
銀行建築を手がけたそうです。

遠州銀行本店、静岡銀行本店、
静岡市役所、静岡市公会堂などが
現存しているとか…
静岡市に作品が多いのは、
いまの浜松市出身というのが、
理由だと思われます。



こちら階段下…
この奥に管理事務所がありました。

柱にはスクラッチタイル。

こちらが図面 (※パンフレットより)

館内清掃中ということでしたが、
「大阪から来たんです」とお願い、
内部見学させてもらいました。

アールのあるコンクリ仕上げ。

ステンドグラスは、
初期のものは室内に
保存されていました。



大階段をあがったところの、
待合スペース。

こちら元貴賓室。



豊橋は1945年6月に市街地が
壊滅的な空襲によって、
灰燼に帰しました。
その理由は、
1884年に歩兵第18聯隊
1908年には第15師団が
置かれた「軍都」だったから。
吉田城公園内の
歩兵第18聯隊之址」の碑石。

この貴賓室には昭和天皇が、
訪れられたことがあるそうです。
時に1946年の豊橋行幸の折、
焼け野原をここから
臨まれたと案内がありました
天井回りの装飾も、
他の部屋とは格が違います。
当初のもののガラス戸。
強風のときには針金で
固定していないと、
ズレて開いてしまうとか。
左右の塔にはそれぞれ階段が、
上へと続きます。
豊橋公会堂 独自要素のひとつ、
ドーム四方の鷲の彫刻
力強く羽ばたいて
飛び立とうとする姿は、
市制25周年を契機に、
豊橋市の将来を象徴したもの。
豊橋空襲はこの鷲も
見ていたのでしょうね…
YouTubeに
ってのがありました。
もうひとつの独自性は大階段
大集会室を2階レベルに設け、
大階段を設けたことによって、
当時のメインストリートである
大手通に対して意識的に配置され、
記念性の高いデザイン効果が見事です。

そばにある洋館は…いつのものか?


「豊橋市公会堂」
竣工年:1931年(昭和6)
設計 :中村與資平(中村工務所)
構造 :鉄筋コンクリート造3階建
【国 登録有形文化財】

※このブログは、市公会堂のリーフレットおよび
 伊藤晴康さんの論説
豊橋市公会堂の意匠における 
 スパニッシュ・コロニアルリバイバルの
 影響について」を参考にしています。

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