博多を臨む〜ももちへ

ヤフオクドームのあたりは
ももち」ってとこになります。
漢字で書くと「百道」...
はるか昔は干潟だったので、
人々の往来が東西縦横にクロスする。
だから「百の道」転じての「百道」。
地下鉄の「西新」(にしじん)から地上に上がると、
サザエさん通り」の大きな看板が目につく。

長谷川町子さん 生まれは佐賀県なのだが、
幼いころ福岡に転居したとか...
1933年から東京へ。
戦前から雑誌に連載漫画を発表しておられた。
戦中の1944年に福岡に疎開してたとき、
当時の百道の海岸で、妹の洋子さんと散歩しながら、
「サザエ」「カツオ」「ワカメ」「フネ」などを
発案たのだそうです。
“サザエさん”の連載は1946年からで、
福岡の地方紙“夕刊フクニチ”にがスタート。
戦後 世田谷区桜新町に戻った後も
サザエさんの執筆は続いて、
国民的人気漫画になります。
ちなみに,サザエさんの作品上では
磯野家は東京・世田谷になのですが、
福岡疎開中の初期作品では
ここ福岡が舞台やそうです。
「百道」って地名は当初なかったそうですが、
西新町・藤崎町・弥生町の各一部を分割して
成立した町名になったそうです。
1980年代に沖合の埋立が行われ...
福岡ウォーターフロント開発のシンボル的な、
建物がニョキニョキと立ち並んでいます。

こちらは福岡市美術館前のブロンズ像
その名も「勝利」。゚(゚´Д`゚)゚。
お目当ての「九州仏」の特別展。
「奈良や京都の仏像は素晴らしい、
 だが、
 九州の仏像はもっと素敵だ」って...
平安・鎌倉期の仏像が観られましたが、
やはり奈良京都と一線を画す作風でした。
なかなか興味深いツクりでした(・ω・)v
 
常設展にどんと居座るのは官兵衛の山笠。
博多っ子には祇園山笠は命と同じ。
前年の祭りの後から、
その年の祭り前までに亡くなった
流れの功労者を弔うのが「追善式」。
追善山を受ける遺族は、家の前に祭壇を作り、
故人の写真のほか供物を置いて、
そろって山笠が来るのを待つのだそうだ。
湿りぽくなりがちなこの手の行事を
博多っ子たちは明るくやってのける。
その後 福岡タワーにオノボリサン(・ω<)
ドームを眼下に。
いい天気だったので
博多湾も遠くまでクッキリ。
ちかごろどこにでもある「恋人の聖地
夜景がエエらしいですわ(TдT)
 

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