ながさき洋館めぐり 旧香港上海銀行長崎支店

異才の建築家として知られる
下田菊太郎 設計の建築として
国内に現存する二例しかない建物の内の一件、
それが「旧香港上海銀行長崎支店」。
コリント式円柱三角破風
軒鼻飾りなどが華やか。
1904年(明治37)に竣工されたもので、
当時は、「ナガサキ・ホテル」と
左右に位置しいたそうです。
まさに、国際貿易港・長崎を象徴する
「大浦バンド」を彩るランドマークでありました。 
ギリシア古典建築様式のコリント式を用いた
長崎市内の石造り洋館として最大級のものです。
コリント式の円柱上部。
香港上海銀行長崎支店は明治の終わり頃まで、
神戸以西唯一の外国銀行だったそうです。
在留外国人の貿易商を主な取引先として
外国為替やロンドン・上海・香港における
外貨の売買を主要業務とした特殊為替銀行でした。
1階は、当時の銀行乗務を物語る資料などが展示。
らせん階段をあがると...
雰囲気のある廊下が格調高く待ち受ける。
当時の応接室など…
室内の柱の装飾も贅の限りが尽くされていました。
マントルピースに調度品もなかなか・・・

3階には長崎の建築に関する展示もありました。
 テラスが開放されていて、
改めて長崎港を望むことできました。
 すると…そこにグラバー園でみた客船が間近に。
セレブリティ・クルーズ(米国)豪華クルーズ客船
セレブリティ・ミレニアム」号だったとか。

(この写真は文化遺産オンラインより転載)

「旧香港上海銀行長崎支店」
→長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館
建築年:1904年(明治37)
構造:煉瓦及び石造、三階建、桟瓦葺
設計:下田菊太郎
所在地:長崎市松ヶ枝町4番27号
【国指定重要文化財】

下田菊太郎って??
あの帝国ホテルを一番、
最初に設計したのは下田菊太郎さんだったそうです。
1890年代はアメリカのシカゴにいて、
フランク・ロイド・ライトのライバル会社に所属していました。
ライトと下田のどちらがホテルを
設計するのに適任であるかというと、下田だということで、
林愛作は下田さんに白羽の矢を立てたんですが、
途中でライトが乗り込んできたのだそうです。
ライトの自叙伝には唯一、悪い日本人として下田の名が記されています。
1866年(慶応2)5月2日生まれ。出羽角館(秋田県)出身。
1919年(大正8)、国会議事堂建築設計競技の入選案に対し、
洋式建築に日本式の屋根をかぶせる「帝冠併合式」を主張。
国粋主義的風潮のなかで「帝冠様式」とよばれる建築を
生みだすもととなった存在だったことで知られる。
1931年(昭和6)66歳でこの世を去る。

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