『人生哲学 阪神タイガース的』

「キリスト教はユダヤ教から派生した宗教です。
 そのユダヤ教の言葉はヘブライ語ですが、
 そもそもヘブライ語には“所有している”といった
 動詞がないそうです。
 英語の“have”に当たる言葉がない。
   (中略)
 つまり、あらゆるものの所有権は神にあって、
 人間にはその使用権しかない。と、
 ユダヤ教では教えられているのです。
 キリスト教も、基本的には同じ考え方です。

 仏教においても同じです。
 ですから、昔の人々は自分の子どもを、
 「この子は仏から授かった子だ」
            と言っていました。」



これは『人生哲学 阪神タイガース的』という、
ひろさちや さんという
哲学者の方が書かれた本にあった一節です。




阪神の監督遍歴の章では、
 タイガース本というくだりもあります。

野村克也氏の著書『あぁ、阪神タイガース』での
 野村氏の姿勢をぶった切り、
阪神ファンは決して読まないようにと諭されます。
虎次郎もペラペラと本屋で立ち読みしましたが、
 見たくありません。。
今岡への進言とやらに、多くの頁がさかれていました。


もう一つ哲学的なコトバがありました。

「角を矯めて(ためて)牛を殺す」

「曲がった角を真っすぐに矯正しようとすれば、
 牛を殺してしまう結果になりかねない。
 気性の荒い牛は荒いままに、
 臆病な牛は臆病なままに、
 うまく管理するのが管理職の仕事である。
 そんなことは、
 牧畜民族の後裔である欧米人には
        あたりまえの常識。」だと。


勝つやつがいるから負けがある。
その裏返しが森羅万象を司る。
「常勝軍団でありつづけなければならない。」と、
 運命づけられていない
  タイガースこそ哲学的な生き方だと。


負けたかて
 かめへんやんか 虎が好き


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