京都モダン建築祭2022 旧西陣織物館
京都市考古資料館前に立つ
"西陣の碑"にはこう刻まれます。
「古来朝廷ニハ大蔵省ニ
織部司アリテ綾錦ヲ織リ
及ビ染物ノ事ヲ掌レリ後
其業民間ニ移リ織工等
大舎人座ヲ組織シテ高機ヲ構ヘ
大舎人織手師ト呼バル
応仁ノ乱ニ東西ノ両軍
京都ニ割拠シテ攻戦
十一年ニ及ビ
其間西軍ハ
五辻通大宮東ナル
山名宗全ノ邸ヲ中心トシテ
堀川以西一条以北ノ辺ニ
駐屯セシヨリ
此一画ヲ呼ンデ西陣トイフ」
「マッチ箱の上に
ピラミッドが載っている」…
竣工当時の評判はこんな感じ。
施主は西陣織物同業組合ですが、
京都の伝統産業の
変化を恐れない姿勢が
垣間みれる気がします。
西陣織物館の建設は、
西陣振興策の一つとして
織物陳列場の切望に端を
発しています。
1913年(大正2)3月、
京都高等工芸学校 教授
本野精吾に設計が依頼され、
翌年10月30日に竣工。
西陣織を展示・販売施設とし、
1915年10月にはモダンな
「NISHIJIN MUSEUM」の
看板を掲げ開館式が盛大に
挙行されたそうです。
1924年には37,609人の
入館者数が記録されています。
1976年になって
堀川通今出川下る西側に
現在の西陣織会館が建設移転。
京都市が跡地利用し、
京都市考古資料館を
1979年11月に開館します。
一般見学エリアは2階まで…、
特別公開エリアの3階へ。
階段を上がっていくと、
階段室の吹き抜けに
水平に貫く渡り廊下が出現。
1936年に増築棟を裏手に
建てたときに架け渡したものとか。
鉄扉の先には、演壇付きの議場…
今はどうなっているのか?
本館横に立ち旧事務所棟は、
京都市埋蔵文化財研究所として、
いまも現役で使われています。
縦連窓階段室に丸い玄関ポーチ、
設計は池田總一郎という人。
京都大学で教鞭をとられ、
柊家新館なども手がけています。
京阪電車の車両のデザインも
彼の仕事だとか。
いよいよ旧貴賓室へ、
□◯◇の幾何学的な細工。
2つの部屋に繋がっていて、
かつては控室と図書室。
壁全面が西陣織の装飾です。
暖炉は隅に2つ。
天井の漆喰装飾もどこかしら、
織物っぽいのがオモシロい。
京都モダン建築…
岡崎、御所西といった地区から、
かなり離れて位置しています。
建築家 本野精吾が、
1909年(明治42)から
3年間ドイツへ留学…
近代主義建築が勃興していた
"モダニズム"に強く感銘を受け、
帰国後最初に設計したのが
"西陣織物館"なのです。
日本における
モダニズム建築の嚆矢(こうし)、
建築史の中で重要な
位置を占めているとか…
本野精吾は1882年(明治15年)、
読売新聞社を創業した
本野盛亨の五男として出生。
東京帝国大学の
工科大学建築科卒、
三菱合資会社の技師として
勤務したのち…
現在の京都工芸繊維大学である
京都高等工芸学校図案科の
教授に就任1943年まで、
教育の現場にありました。
設計した建築は多くありませんが、
本野精吾邸、鶴卷鶴一邸、
京都工芸繊維大学3号館などは、
国指定有形文化財に登録され、
日本におけるモダニズム建築の
先駆的作品として
高く評価されています。
貴賓室になぜか兵馬俑??
そういえば1階でマスク姿の
兵馬俑に迎えられてたぞ!?
実はレプリカで1963年開催の
"大阪城築城400年まつり"で
展示されたものなんです。
でもナゼ"大阪城築城まつり"の
展示品が西陣にある?その訳は…
大阪城築城400年…で
秦の兵馬俑が展示されたのは、
1983年のことでして、
虎次郎も近くなので、
何度か会場に足を運びました。
が…大混雑で長蛇の列で、
何度か会場に足を運びました。
が…大混雑で長蛇の列で、
兵馬俑展には入れず…
ただ会期中に事件が起きました!
1983年11月22日のこと、
両手で力まかせに突き倒して
30代の男性に破壊されたのです。両手で力まかせに突き倒して
その後の地裁判例記録によると…
大阪城は豊臣秀吉と
蜂須賀小六とが築いたと信じ、
大阪城の西の丸庭園に兵馬俑を
展示することは秀吉らへの侮辱だ…
"呪いの人形代"とか
墨書人面土器とか
こんなカワイイ発掘研究員いるのかな?
★ 京都モダン建築祭 公開データ ★
京都市考古資料館(旧西陣織物館)
公開日時 : 11月11日(金)~13日(日)
公開エリア: 旧貴賓室
竣工年 : 1914年(大正3)
構造・規模: 鉄筋コンクリート造(柱梁構造)と
煉瓦造(壁構造)の混構造・
地上3階
設計 : 本野精吾
施工 : 清水組 (現清水建設)
所在地 : 京都市上京区今出川大宮東入ル
元伊佐町265-1
【京都市登録有形文化財】
大阪城は豊臣秀吉と
蜂須賀小六とが築いたと信じ、
大阪城の西の丸庭園に兵馬俑を
展示することは秀吉らへの侮辱だ…
ってのが犯人の主張とか。
粉々に砕け180以上の破片…
京都市京セラ美術館で
「兵馬俑と古代中国」展が開催。
国交正常化50周年という節目年、
粉々に砕け180以上の破片…
兵馬俑の修復の話が、
京都市埋蔵文化財研究所に
舞い込んだのです。
ただしリミットはたったの"4日"、
25日からの修復作業でしたが、
中国共産党ナンバー2訪日が
11月28日に迫っているのだという。
日中関係の危機と新聞テレビも
連日報道していた記憶があります。
なんとか間に合って、
そんな縁からここに
兵馬俑3体があるのですが、
一時期 3階への階段にあったとか…
ちょっとシンパイです😟
日中友好の命運を握る修復から、
30年近くがたった2022年3月、京都市京セラ美術館で
「兵馬俑と古代中国」展が開催。
国交正常化50周年という節目年、
京都初上陸 が実現したのです。
1階では
「考古資料とマンガで見る呪術展」
"呪いの人形代"とか
墨書人面土器とか
こちらは京都地下鉄烏丸線で発掘、
石垣石材となっていた石仏の
右手には"清明☆"の刻印があるとか。
こんなカワイイ発掘研究員いるのかな?
★ 京都モダン建築祭 公開データ ★
京都市考古資料館(旧西陣織物館)
公開日時 : 11月11日(金)~13日(日)
公開エリア: 旧貴賓室
竣工年 : 1914年(大正3)
構造・規模: 鉄筋コンクリート造(柱梁構造)と
煉瓦造(壁構造)の混構造・
地上3階
設計 : 本野精吾
施工 : 清水組 (現清水建設)
所在地 : 京都市上京区今出川大宮東入ル
元伊佐町265-1
【京都市登録有形文化財】