京もみぢ2022 金地院
師走に入って寒さが募ってきました。
季節はずれにならないよう…
京もみぢ2022 をいくつか。
南禅寺塔頭 金地院へ…・
応永年間(1394~1428)に
北山に創建されていたのを、
徳川家康の政治顧問 以心崇伝が
移築してきたものなのです。
門前に10分でお庭見れますに😁
誘われて建築祭の待ち時間に。
金曜日ではありましたが、
永観堂あたりは人出がみえた、
秋の青空…
"明智門"が出迎えます。
1582年(天正10年)に明智光秀が
1582年(天正10年)に明智光秀が
母の菩提のため、大徳寺に寄進した門。
明治維新後の1868年に移されたとか。
以心崇伝は応仁の乱などの大火で
荒廃した南禅寺の伽藍の復興に
尽力した名僧でもあるのです。
京都唯一の権現造り…
そう東照宮があるのです。
徳川家康の厚い信頼を得、
"黒衣の宰相"の異名にまつわる話、
崇伝は禁中並公家諸法度や
武家諸法度の起草にあたったとされ、
"寺大名"としての側面が強いですね。
東照宮の扁額のかかる楼門…
鳥居のあす参道を向かうと
やや角度をつけて透かし塀
金地院の境内に建つ東照宮は、
崇伝によって1628年(寛永5)に造営。
よくみる江戸極彩色ではありません。
東照宮は全国各地にありますが、
家康遺言により建てられたのは
久能山、日光、
そして金地院の3カ所だけなのです。
東を正面に建てられており、
東を正面に建てられており、
江戸および日光を見据えています。
家康の遺髪と念持仏が
納められており、
拝殿天井は狩野探幽の筆による
"鳴龍"が描かれています。
奥入ると本殿には極彩色の装飾…
拝殿にもいくつか彩色の装飾
御透門を振り返ります
右手から方丈へ
角度のある石段を降りると
方丈前の枯山水庭園 "鶴亀の庭"
方丈の扁額は"金地院"の由来となる
"布金道場"の幕臣剣豪 山岡鉄舟の筆。
徳川家光を迎えたいという思い、
茶人で作庭奉行の
小堀遠州の設計を依頼したもの。
設計図や日記、崇伝と遠州の書状があり、
遠州作と断言できる由緒ある庭。
"天下一の石組の名手" 賢庭の指揮のもと、
1632年(寛永9)に完成しています。
三畳分はある大きな石は遥拝石、
背後にある東照宮である家康の廟を
拝むために置かれているのです。
こちら庭を臨むところにある開山堂
後水尾天皇の勅額を掲げられ、
左右両側には十六羅漢像が
安置されています。
家康の神号については、
崇伝と天海が対立したとか…
崇伝の主張の"明神"は
秀吉の豊国大明神に繋がり、
秀忠の裁定で"権現"に。
もみぢば…
すでに散りゆくかも知れませぬ。
撮影 2022.11.11