村井吉兵衛さんちの長楽館を知る③


煙草の製造技術をアメリカから
始めて日本に持ち込んだ村井吉兵衛は、
無類のアメリカ好きでしたが、
彼の目はアメリカだけでなく
イギリス、イタリアなど
世界を見ていました。

玄関そばにある応接間「迎賓の間」は、
ホールの重厚な雰囲気とは異なり
フランス・ロココ調の華やかな空間。

壁の風景画には自由の女神、レマン湖、
描いたのは佐賀出身の高木背水という人。
村井は背水の絵を気に入り、
これを機縁に寵愛したのだそうです。
イギリス留学の面倒を見ていて、
帰国後間もなくの展覧会は帝国ホテルにて。
外壁タイルのことでも紹介しましたが、
村井は帝国ホテルの役員でありました。
陳列された作品点数は187点、
展覧会は破天荒の盛会だったそうです。

1914年の春、若干37歳の背水は
明治天皇像謹写というこの上ない
栄誉な抜擢を受けることです。
「そこで背水は一切外界との
 交通を絶って、斎戒沐浴し、
 昼間は鎮座して心を練り、
 夜に入ってから昼光燈を
 用いて筆を執った。
 文字通り身魂を打ち込んだ姿」※1
その作品は翌春完成、
大正天皇の天覧を賜ります

迎賓の間」には二重橋
その後 背水のこと…
明治天皇の肖像画を描いたことは、
 当時の画壇に多くの嫉妬を生み、(中略)
 彼はしだいに日本の画壇では
 受けいれられなくなってきていた。


佐賀新聞に2008年12月から孫娘さんが、
祖父・背水のエッセイが掲載されました。
「はじめ佐賀を訪れたのは1982年、
 高木背水展のオープニングの日だった。
 展覧会は第二次世界大戦で没した洋画家、
 高木背水の
 戦後はじめての大規模な回顧展で、(中略)
 いまでは知る人も少ない
 近代洋画の先駆者の一人
 高木誠一郎=背水は(中略)1877年、
 現在の佐賀市松原に生まれた。」…
「ようやくにして得た衣食の道を捨てて
 画道に専心しようとしたとき、
 餓死するつもりかと諌める人に
 『背水の陣でござる』と答えたのが
 「背水」の画号の由来だと
」。

こちら竣工当時の「美術の間」、
ここには主として東洋のものと思われる
美術品が所狭しと陳列されていました。
吉兵衛は先妻 宇野子と2度に渡り洋行、
一度目は長楽館建設中の1906年のこと、
下関より乗船し、釜山、京城、平壌、
奉天、旅順、天津、南京、上海
へ。

2度目は長楽館完成後、欧米を旅行。
1911年の正月は南洋の船上にて
「明治44年1月元旦、
 新嘉坡(シンガポール)香港間、
 木曜日、天晴気静なり。
 日本人のみ雑煮屠蘇にて
 目出度海上に新年を迎う。
 久子(長女)と自分とは
 絽の紋付、絽の帯、
 主人は白越後帷子、羽織袴なり。
 越年迎新の暑さのをかしさよ。」
宇野子の在りし日の日記
収められた遺稿『宇の花』にのこる。

バロック様式といわれる「食堂の間
東京大学教授藤森照信さんの解説…
「食堂を見ると、
 応接間のように軽くはない。
 付け柱もガッチリし、天井の造形も強い。
 白とパステルカラーの
 ブルーがかかったグレーの色使いと、
 格天井の格子の交差部から
 重ねる装飾からすると、
 イギリス系のネオ・クラッシク様式
 かも知れない。
といっても、(中略)
 ヨーロッパから直接来たのではなく、
 アメリカに入って
 変形してから来ているわけで、純粋の
 どこの何の様式とはいいがたい。」※1

中央に深い彫刻が施された大理石の暖炉、
大きな三面の鏡、床は寄せ木細工、
天井からはシャンデリアが美しい。
ちなみにバカラ製なのだそうです。

こちらBoudoirと書かれてた部屋の写真、
ブドワールの語源はフランス語で、
婦人の寝室・私室」のこと…
貴婦人室」と訳されています。

村井たばこ「カメリア」のパッケージ。
村井吉兵衛にはライバルの存在、
岩谷松平とのキャンペーン合戦が
熾烈を極めていた時期がありました。

岩谷松平は「国益の親玉」を自称、
輸入葉の村井に対し、
国産葉の使用を強調、

「国益天狗」「愛国天狗」
「輸入退治天狗」という銘柄、
「東vs西」「赤vs白」
「口付vs両切」「和vs洋」。
看板、引札、新聞・雑誌広告、
宣伝隊といった広告媒体は、
彼らのライバル心に支えらました。

たばこの専売化の一番の理由は、
国家の財源確保でした。

個人の土地に課した"地租"に対して、
庶民の不満が高まったため、
その対策として政府は、
"消費税"の導入に踏み切ったのです。
「たばこ」からの税徴収政策により、
村井・岩谷とともに多額の補償金を
手に入れ、銀行などの新事業へ…

写真は日本橋室町にあった
村井ビルディングで、
たばこ業撤退後の村井の中枢でした。

こちら長楽館の
LIBRARY BAR MADEIRA」。
村井の書斎を利用しています。
タバコ、カステラ、カルタ、ボタン…
ポルトガル語の外来語です。
MADEIRAはポルトガル領のマデイラ島
西ヨーロッパからアフリカにほど近い場所。
"絶世の美酒"マディラワイン
大航海時代のワイン輸送、赤道直下、
高温にさらされ酸化醸成、
水分蒸発による凝縮が起こった
結果の産物でした…
  
1903年(明治36)の村井は自社製造の
OLDGOLD」の名を冠したポスター、
オールド高塔」を建てて
第五回内国勧業博覧会
夜をサーチライトで
照らしたのだそうです。

長楽館の本館には20炉くらいの
暖炉があるそうです。
建築以来100年以上使われてきたもの、
数年前から薪を燃やさず、
液体燃料で暖炉の外観はそのままで…
一方でホテル棟では…
客室全部に薪暖炉が採用されたそうです。

タバコ好きも無煙の時代に入りました。
『読売新聞』に連載された長編小説、
「日本煙草大王」を名乗り、

口付きの"天狗"煙草
押しまくった岩谷松平と、
欧化趣味の名を冠した両切り煙草
対抗した村井吉兵衛との死闘を軸に…
永井龍男著『けむりよ煙』

長楽館の玄関脇には今でも
薪が積まれています。
千変万化の炎のように
歴史をつないだ長楽館…
ホテルでは客室ごとの暖炉が
炎の光で照らし、木の香りを…
そして屋根の煙突からは、
冬の京都に煙を靡かせているのです。

※このブログは長楽館広報誌「長楽未央」
 参考にしています。

※1「建築探偵・近代日本の洋館を探る」
 藤森照信著 1998年11月 NHK人間大学


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