大倉喜八郎さんちの祇園閣を知る①
法観寺の八坂の塔と並んで、
八坂のランドマークとして定着の祇園閣、
「モダン建築の京都」のコラボ"限定公開"…
2014年の登閣のころは9月の青もみぢ…
紅葉まっさかりでした。
まずは祗園閣を護る狛犬…
発注者である大倉財閥の設立者
大倉喜八郎の注文はこんな感じでした。
「閣の正面の階段の袖石の上に
一対の狛犬を載せて見よう」
高さ二尺余りの狛犬の原型…
喜八郎は一言の下に
「こんな小さなものは大嫌いだ、
見上げる様な
大きなものでなければならぬ。
狛犬も普通の型ではいけない。
ウンと胸の張つた、
筋肉の充分に発育したのが好い」
今日における日本第一の大狛犬とか。
こちら今回のチケット。
左隅に伊東忠太の怪獣がみえる。
閣上におられた
ボランティアガイドさんは、
この姿に今回の公開のコダワリがあると…
「モダン建築の京都との
コラボ企画がなければ、
ここには上がってもらえないんです。」
今回も閣内は内外ともにカメラNG、
写真はガイドブックより…
敦煌莫高窟の模写壁画が
取り囲んでいるのです…
壁画は1987年大雲寺創建400記念で、
中国人画家・葛新民 氏によって
描かれたものなのですが、
壁画を護るために堂内撮影禁止。
恐らく壁画がなかった頃は、
怪獣のインパクトがあっただろうし、
伊東忠太の意図は闇を照らし…
そして天空へという物語としての、
仕掛けだったように思えます。
墨田区横網にある「東京都慰霊堂」の
忠太の怪獣…愛称「マモリュウ」。
建物の白さとの関係もあるが、
祗園閣のランプ色は、もう少しオレンジ
大倉喜八郎は卯年生まれ…
伊東忠太のパトロンに対する
配慮ではなかったのでは、
東京大学の藤森照信教授の見解です。
壁面の雲中供養菩薩像は、
当初にはなかったそうで…、
ここにも"伊東忠太の祗園閣"は、
変容をみることができるのです。
祗園閣のランプ色は、もう少しオレンジ
かかったものではなかったかと。
莫高窟の極彩色の壁画は、
最上階で黄金の千手観音までも
登場させてしまっているのです…
莫高窟といえば西本願寺第22代宗主、
大谷光瑞の大谷探検隊との関わり、
仏教の源流をたどるべくの派遣でした。
時を同じくして中国・インドから
ヨーロッパへと調査へ行っていた
伊東忠太と大谷探検隊が遭遇、
帰国後の二人の関わりは、
本願寺伝道院こと真言宗徒生命保険会社、
そして築地本願寺と続きました。
しかし…大雲院は浄土宗で、
大谷瑞光の浄土真宗ではありません。
伊東忠太の設計したままの姿を
残して欲しかったとの思いが過ります。
祗園閣の建築当初図面は、
国立国会図書館デジタルコレクションで
『伊東忠太建築作品』(1941年)を
閲覧することができます。
天井の中心飾りの
十二支のレリーフの図面。
虎が兎の尻を噛み、
猿が鶏の足を掴むなど、
時の流れの無限循環を示す意匠。
この中心飾りを除いて
和風建築の格天井風に仕上げ、
格間のパネルは黄金色の装飾で
天女の群舞が浮彫りにされています。
天女の群れの中心部には
蓮の花の形をしていて、
そのさらに3匹の兎が飛び跳ねる。
莫高窟の極彩色の壁画は、
最上階で黄金の千手観音までも
登場させてしまっているのです…
莫高窟といえば西本願寺第22代宗主、
大谷光瑞の大谷探検隊との関わり、
仏教の源流をたどるべくの派遣でした。
時を同じくして中国・インドから
ヨーロッパへと調査へ行っていた
伊東忠太と大谷探検隊が遭遇、
帰国後の二人の関わりは、
本願寺伝道院こと真言宗徒生命保険会社、
そして築地本願寺と続きました。
しかし…大雲院は浄土宗で、
大谷瑞光の浄土真宗ではありません。
伊東忠太の設計したままの姿を
残して欲しかったとの思いが過ります。
祗園閣の建築当初図面は、
国立国会図書館デジタルコレクションで
『伊東忠太建築作品』(1941年)を
閲覧することができます。
天井の中心飾りの
十二支のレリーフの図面。
虎が兎の尻を噛み、
猿が鶏の足を掴むなど、
時の流れの無限循環を示す意匠。
この中心飾りを除いて
和風建築の格天井風に仕上げ、
格間のパネルは黄金色の装飾で
天女の群舞が浮彫りにされています。
天女の群れの中心部には
蓮の花の形をしていて、
そのさらに3匹の兎が飛び跳ねる。
大倉喜八郎は卯年生まれ…
伊東忠太のパトロンに対する
配慮ではなかったのでは、
東京大学の藤森照信教授の見解です。
壁面の雲中供養菩薩像は、
当初にはなかったそうで…、
ここにも"伊東忠太の祗園閣"は、
変容をみることができるのです。