木下ねねさんちの高台寺を知る②
伏見城から移築されてきたという
時雨亭(しぐれてい)も紅葉がもえていました。
移築意向は ねねさんによるものと伝わります。
一般に茶席として公開したことがない
二階建ての茶室で一階が水屋兼待合、
二階の三方は掛け戸で突き上げで開く。
今年の8月に特別茶席が催されたとのこと、
二階の茶席は小上がり席になっていて、
さらに少し高いお座席だったそうです。
お隣に茶室 傘亭が立ちますが、
これは移築後に茶人であり作庭家の
小堀遠州が高土間廊下で繋げたもの。
傘亭も伏見城からの移築とされますが、
もともと傘亭が伏見城にあったときは、
豊臣秀吉が船遊びをする際に使った建物。
そのため入口は"舟入口"という名。
傘亭の化粧屋根裏の骨組みは、
扇垂木状に丸太と竹が組まれます。
唐傘を開いたような屋根の形から
その名がついています。
千利休の作とも言われていますが、
宮元建次氏は2004年刊行の
『京都名庭を歩く』(光文社)で、
利休の自刃が伏見城造営より以前の
1591年(天正)のことであったことから、
「もし千利休の遺構であるならば
聚楽第に建てられた茶室が伏見城に移され、
そして高台寺に運ばれたのでなければ
説明がつかない」と主張されています。
『京都で「建築」に出会う』(彰国社 2005年)
では、神奈川大学の西和夫 名誉教授の論。
古くは傘亭と時雨亭の二棟を
合わせて安閑窟と呼んでいたこと、
二棟とも秀吉の伏見城から移された
としているが裏付ける資料もなく
肯定も否定も出来ないこと、
傘亭は伏見城の山里丸にあった
学問所にあった建物の可能性があること、
そして現在の建物は1934年の台風で倒壊、
江戸時代の起こし絵図を元に復元したため、
旧状を伝えているか疑問であると。
傘といえば近くに立つ祇園閣も、
高台寺境内からこのように
スッキリと出で立つ姿を
臨むことができます。
こちら勅使門です。
方丈の南正面に位置していて、
実は古くなく1912年の再建です。
方丈の後方には小方丈がありましたが
1789年(寛政元年)2月の火災で焼失、
残念ながら唐門・方丈とともに
小方丈も1863年(文久3)7月の
攘夷派の放火により再び焼失しています。
楼船廊から観月台そして開山堂から
臥龍廊を経て霊屋に至る部分は、
難を逃れたのだそうです。
極楽浄土を表す仏堂の開山堂には、
秀吉が使った船の部材が
天井に貼り付けてあるそうです。
「夫との思い出を身近に感じていたい
という女心が表れている」と…
中世女性史が専門の京都橘大学の
田端泰子 名誉教授はこう解説されています。
勅使門の話しに戻ります
蛙股は波に兎、謡曲 『竹生島』 に由来
唐獅子に牡丹
高台寺の庭園内に入ると、
すぐ茶室が立っています。
こちらは"遺芳庵"大円窓の下地窓が
とても印象的な茶室。
江戸時代の富商の
灰屋紹益(はいやじょうえき)が
その妻・吉野太夫を忍んで
建てた茶席といわれています。
吉野太夫に因んで"吉野窓"。
一畳台目の小規模な茶席で、
炉は逆勝手向切りになっているとか…
遺芳庵の移築は昭和になってから、
灰屋紹益とはその名の通り、
灰を扱ってた京都の豪商です。
灰が儲かるのって?、
昔は染色の触媒に灰は必須でした。
1607年に本阿弥光悦の甥 光益の子、
その後 灰屋紹由の養子に…
灰屋は屋号で、姓は佐野です。
佐野家は南北朝時代頃から
藍染に使用する紺灰を扱うことが生業。
江戸初期に京の三長者と言われる
茶屋四郎次郎の茶屋家(ちゃやけ)、
角倉了以の角倉家、
後藤四郎兵衛家の後藤家と
肩を並べていたそうです。
もうひとつの灰屋紹益の鬼瓦席も、
高台寺に移築されています。
参拝者でもお茶をいただける"雲居庵"、
うんごあん とも うんごうあん とも…
雲居庵は高台寺ができる以前にあった
"雲居寺"の名を継承しているとか。
灰屋紹益は後陽成天皇の第4皇子で、
関白・近衛信尋と争って、
2代目・吉野太夫を身請けして妻に。
吉野太夫26歳 1631年のことですが、
駆け落ち同然で二人で
ひっそりと暮らし始めた男と女。
その後許されたものの、
38歳の若さで亡くなったそうです。
没後も愛し続けた灰屋紹益、
秀吉の最愛の妻であった ねねさん。
高台寺には仲睦まじいペアにまつわる
エピソードがありました。
傘亭・時雨亭から下ると…
霊山観音の先に東寺五重塔、
かつては高台寺から大坂城を臨めたとか…
伏見城より移築の時雨亭二階より、
大坂城落城の炎を目にした ねねさん…
豊臣所縁の者がその光景を見ていたとも。
逸話として有名ですが定かではありません。
大阪城天守閣の跡部信・主任学芸員は、
北政所の親戚筋の木下家が
保存していた史料などの分析から
「北政所は秀頼や淀殿と一緒に
大坂城に籠城して戦う覚悟だった。
しかし大坂への道中で
家康に大坂行きを阻まれ、
京に引き戻された」と…