古代氏族 秦氏をたどるvol.1 広隆寺


太秦といえば…
ほとんどの人が
東映太秦映画村
知っているので、
ウズマサ と読むことを
知っていますね。

朝廷において強い影響⼒を
持っていた有⼒者であった
秦⽒のことは、
実はイマの歴史教科書でも
多くが書かれていません。

古事記』によると…
蘇我氏の祖先は武内宿禰
ただ『日本書記』は、
これを無視しています。
抹殺というのが、
言い当てたコトバ(T_T)

武内宿禰は、神功皇后の
三韓征伐の功労者であり、
お札の肖像にもなった人。

『日本書紀』によると…
皇極4年(645)、中大兄皇子は、
「蘇我入鹿は上宮王家を滅ぼして、
王家を乗っ取ろうとしている」
と叫んだのだ…
多くの日本人は、
この『日本書紀』の主張を
長年信じ込まれてきたのです。

ただ大化の改新の立役者、
中大兄皇子は、改革とは縁遠い、
無謀な百済遠征を敢行しました。

この戦いは負ける」と、
民衆は言い当て、
敗戦後に近江遷都されると、
不審火が絶えなかったとか。

広隆寺山門のそばに立つ
「うづまさ 聖徳太子殿」

こちら国宝 桂宮院本堂
原則として非公開、
そして特別公開のときも、
撮影はNGなので…
こちら絵葉書より。
法隆寺夢殿と同じ八角円堂、
純和様の檜皮葺きなので、
かなり印象が異なります。

本尊の聖徳太子半跏像

『日本書紀』のもう一つの、
蘇我氏にかかるこんな話。
入鹿暗殺の直前、
巫覡(ふげき)という人たちが、
その危機を知らせようとしたが、
なかなか伝わらなかったと。
巫覡たちはなぜ神託として、
伝えようとしたのか?

蘇我氏を解説すると、
渡来人だとする説に
行き着くことが多いのです。
それは果たして本当なのか?

国宝第1号の弥勒菩薩が
多くの寺宝とともに
おられる霊宝殿へ…

半跏思惟のかたち
幼い頃に広隆寺は
訪れたことがあるとは、
聞いていますが…
しっかりお会いするのは、
これがハジメテです。

弥勒菩薩半跏像は
広隆寺には2体あって、
有名なこちら
通称「宝冠弥勒」で
広く知られています。

もう1体がこちら…
像高90cmの「泣き弥勒」。

巫覡たちのこと…
中村修也さんの解説に従うと、
「巫覡たちは結託していた」
身分の低い人たちが蝦夷らに、
神託を必死に伝えようとしたのは、
既得権益にしがみつく人々と闘い、
世直しを目指していたとされます。

蘇我氏は渡来人??…
渡来系の技術者を駆使した、
だがそもそも蘇我氏は
「臣(おみ)」であり、
天皇家の氏族であったことが、
古事記』には記されているのです。

聖徳太子がなぜ皇統を
継がなかったのか…
蘇我氏を悪くみせようとした
歴史の定説がある一方で、
聖徳太子と上宮王家は、
ツクリゴトだったのとも…

皇極4年の『日本書紀』に…
上宮王家を滅ぼし、
王家の乗っ取り
そんな蘇我氏の菩提寺に、
なぜ聖徳太子を追善するのか…
消された存在の蘇我氏。

よく似たシチュエーション…
伊勢神宮の外に置かれた
猿田彦命に符合するようにも
思えてなりません。

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