猿田彦のミチを開くvol.14 阿射加神社(松阪市小阿坂)
伊勢自動車道の松阪ICから
3分ほどの阿坂山の麓…
ここにも猿田彦命が
祀られています。
「阿射加神社」
ただ…車ではなかったので、
松阪駅でレンタサイクルを
借りて1時間ほどぶっ飛ばして、
伊勢平野を見渡せる
場所にたどり着きました。
垂仁天皇の皇女 倭姫命が
皇大神の御神霊を奉じ、
諸国を巡行されたとき、
この近くの安佐賀の山に
荒ぶる神が座していて、
宇治の五十鈴の川 上の宮に
行くことが出来ませんでした。
荒ぶる神に贈り物を
賜えたことにより、
鎮めることができたとか…
天照大神の社が、
五十鈴川のほとりに
建てたと所以の一つです。
伊勢大若子命たち三人が
遣わされたことに由来、
摂社「大若子神社」が、
祀られていました。
ただ…車ではなかったので、
松阪駅でレンタサイクルを
借りて1時間ほどぶっ飛ばして、
伊勢平野を見渡せる
場所にたどり着きました。
垂仁天皇の皇女 倭姫命が
皇大神の御神霊を奉じ、
諸国を巡行されたとき、
この近くの安佐賀の山に
荒ぶる神が座していて、
宇治の五十鈴の川 上の宮に
行くことが出来ませんでした。
荒ぶる神に贈り物を
賜えたことにより、
鎮めることができたとか…
天照大神の社が、
五十鈴川のほとりに
建てたと所以の一つです。
伊勢大若子命たち三人が
遣わされたことに由来、
摂社「大若子神社」が、
祀られていました。
大若子命(おおわかのみこと)は、
大幡主命とも呼ばれていて…
今の北陸にあっった越の国の
阿彦討伐のときに、
大いに幡を挙げたことに
由来のある神さまです。
東向きの境内入口には、
白い神明鳥居が立ちます。
鳥居をくぐり参道を進むと…
鬱蒼と出で立つ杉の大木たち。
石橋の前後ろに鳥居。
古くは池か川があったのやも…
橋のそばには
松阪霊地七福神 寿老人の幟。
なぜ寿老人なのか?
大幡主命とも呼ばれていて…
今の北陸にあっった越の国の
阿彦討伐のときに、
大いに幡を挙げたことに
由来のある神さまです。
東向きの境内入口には、
白い神明鳥居が立ちます。
鳥居をくぐり参道を進むと…
鬱蒼と出で立つ杉の大木たち。
石橋の前後ろに鳥居。
古くは池か川があったのやも…
橋のそばには
松阪霊地七福神 寿老人の幟。
なぜ寿老人なのか?
よく分かりませんでした。
銅製の鳥居を潜ると…
階段を上ると神門。
神門は拝殿を兼ねています。
猿田彦命の話に…
この地が『古事記』の云う、
猿田彦神が溺れたとされる
伊勢国 阿邪訶の地なのです。
玉砂利が敷かれ瑞垣で
囲まれ本殿は三棟???
化生した猿田彦神の三つの御魂、
底度久御魂(そこどくみたま)、
都夫多都御魂(つぶたつみたま)、
阿和佐久御魂(あわさくみたま)、
三座が祀られているのです。
本居宣長の著した
『古事記伝』においても、
阿射加神社の祭神三座を
猿田彦神の三つの御魂と
見る説を唱えているとか…
住吉三神も宗像三女神も
銅製の鳥居を潜ると…
階段を上ると神門。
神門は拝殿を兼ねています。
猿田彦命の話に…
この地が『古事記』の云う、
猿田彦神が溺れたとされる
伊勢国 阿邪訶の地なのです。
玉砂利が敷かれ瑞垣で
囲まれ本殿は三棟???
化生した猿田彦神の三つの御魂、
底度久御魂(そこどくみたま)、
都夫多都御魂(つぶたつみたま)、
阿和佐久御魂(あわさくみたま)、
三座が祀られているのです。
本居宣長の著した
『古事記伝』においても、
阿射加神社の祭神三座を
猿田彦神の三つの御魂と
見る説を唱えているとか…
住吉三神も宗像三女神も
古代の海士は三を聖数視
しているようで、
阿射加神社の祭神が、
猿田彦命の
三つの御魂であるならば、
この地の海士が奉斎された
ことに繋がるのでしょうね。
「村宮三社」にも三。
阿邪訶は阿射加とも
浅香とも書いたとか、
阿坂の字を充てます。
伊勢湾の海岸から離れた、
かなりの山合の地。
元々は阿邪訶は広く、
この辺り一帯の平坦地を
指していたようですね。
ちなみに松阪駅から
小野行きバスで行けるとか…
あまり本数がありません(T_T)
猿田彦命の
三つの御魂であるならば、
この地の海士が奉斎された
ことに繋がるのでしょうね。
「村宮三社」にも三。
阿邪訶は阿射加とも
浅香とも書いたとか、
阿坂の字を充てます。
伊勢湾の海岸から離れた、
かなりの山合の地。
元々は阿邪訶は広く、
この辺り一帯の平坦地を
指していたようですね。
ちなみに松阪駅から
小野行きバスで行けるとか…
あまり本数がありません(T_T)