猿田彦のミチを開くvol.9 天塚古墳と狐さま
蚕の社にあった白清社…
西高瀬川の南のこんもり山。
天塚古墳の石室から、
遷座されたものだそうです。
1887年の発掘調査では、
鉄轡、銅鏡、勾玉など
400点あまりが出土。
京都市の史跡に
1978年に指定されいます。
Google Mapを駆使して、
ようやく辿り着く(大汗)
ディープスポット…
工場と隣接する菜園は、
おそらくご近所の人たちの
憩いの場所でもあるのでしょう。
おそらくかつての周濠…
「天塚古墳墳丘測量図」
全長70 m、後円部径40 mの
二段築成の前方後円墳。
6世紀前半の築造と
推定されていて、
二ヶ所に横穴式石室が
開口されいます。
天塚古墳の発掘調査は、
1887年のこと…
木島神社へ石室ごと遷座?
確かに石室の雰囲気を
醸し出していたけれど…
「稲荷教 伯清教会 天塚山」の
看板が掛かります。
1898年、太秦村に住む
九島ちかという女性に
稲荷神から元に戻してほしい
という夢告があったとか…
息子の庄太郎と共に
「御嶽教 白清教会」を組織、
天塚古墳に遷座したという。
「稲荷教 伯清教会」が
戦後 1946年に継承…
北村岩太郎の碑が
建てられていました。
円墳周りに朱色の柵
頂上らしき場所へ
いわゆる登れる古墳。
大木が根を張る。
八幡大神とあり、
見下ろすと鳥居。
古墳全体が伯清稲荷大神を
祀る神社の神域…
朱塗りの柵で囲んだ神域、
キレイに清められていました。
「橋姫稲荷大神」
「白長大明神」
祭神は伯清稲荷大神、
宇賀御魂(うかのみたま)とは、
豊受大神のことです。
伯清稲荷に関する記録には
「天照国照彦天火明
櫛玉饒速日ノ命」
「大宮売神=アメノウズメ」
「佐田彦ノ神=サルタヒコ」
「大己貴大神=大国主命」
「彦大神=少名彦」
の祭神を総称しての称名。
サルタヒコとアメノウズメと
繋がりがあったとは…
豊川大八島明神
お稲荷さんも…
こちらが後円部石室です…
ミステリアスゾーン(T_T)
奥壁は社で隠されています。
実は秦氏に繋がる人たちは、
ここで養蚕をしていたそうです。
理由は…
石室内は適温保持ができ、
蚕の孵化に適していたとか。
蚕の社に遷座され前から、
ここには養蚕信仰が
根付いていたのでしょう。
古墳周囲には、
石仏がありました。
山ノ内庚申の猿田彦神社に
通ずる行場の名残りか…。