猿田彦のミチを開くvol.7 京都三庚申の猿田彦


京都市右京区、
天神川三条にも
猿田彦神社がありました。

扁額は
伊勢の猿田彦神社と同じ。
創建は平安時代と伝わる
京都三庚申の一つで、
庚申の日には多くの
参拝者が訪れます。
別名「山ノ内庚申」。
庚申信仰発祥の地
ともいわれているとか…

天台宗開祖である
最澄が座禅のために、
霊窟を探していたところ…
猿田彦大神が現れ~~
この地を指し示した…
最澄が座禅石の傍らに
猿田彦大神を
祀ったことが始まり。

後嵯峨天皇の行幸にも
猿田彦が現れ、
道案内を務めたとされ、
後嵯峨天皇の命で
社殿が建立されたとも。

古図によれば、
三条通り側に鳥居があり、
旧社地は少し北方に、
修験道者が滝行で
身を清めた愛宕詣り
との繋がりがありました。

ちなみに1885年に、
この場所に移築ですが、
行場の名残りがこちらに…
火伏の神、秋葉明神

そして南側には不動明王
観世音菩薩地蔵尊
祀られています。

大国主命も居られました。



1980年が60年毎に
迎えた庚申の年に
行われた神殿修覆の際に、
礎石に使われていた
あたごへ二里半」との
道標の文字は旧社地を
偲ばせるものとされています。

庚申信仰とは
十干十二支の庚申の日、
庚申講で集まって
猿田彦大神清面金剛
軸を掛けて、供物を捧げ、
夜を明かして萬福招来を
祈願したものです。

なぜ夜を明かすのか?
人が寝なければ、
三尸(さんし)の虫
が、
体から抜け出して、
罪過を天帝へ
告げに行けないそうです。

60日に一度巡ってくる
庚申の日の夜、
チクリにくるんですね…
そうされないように、
夜を明かすんだそうです。
庚申待ち」と
呼ばれた風習です。

ここでの猿田神社では、
神使は「」でして、
そこかしこに…

拝殿の蟇股とか…

本殿にも木彫の庚申猿
妙にリアルな老猿。

こちらは「白猿木彫像」。
台風被害で倒れた御神木で、
彫られたというもの。

普段は非公開??なのですが、
社務所に鎮座していました。

樹齢700年の「庚申楠

見ざる、言わざる、
聞かざるの三神猿
神使の猿像とは
別モノでして…
「自分たちの罪状を
見聞きしたり、天帝に
告げないで欲しい」
との
願望を表現したものとか。
「庚申待ち」に
通ずるおサルさんですね。

盗難除のお守りの
盗難除左なわ」。
戴いて参りました。
普通の縄は、
右から編みですが、
祭礼用の縄は左縄
知らなかった(T_T)


※三尸の虫とは?
道教の教えでは、
人の体内には3匹の虫「三尸」が棲んでいるという。
1年に6度ある庚申の夜、人が眠っている隙をついて
三尸の虫が体内から抜け出し、その人間の罪や悪事を
天帝に告げ口をするとのこと。天帝は報告された
罪の重さによって、その人の寿命を削るという。
上・中・下と「三尸」、上の虫は白髪やシワを作り、
中の虫は五臓を悪くさせ、下の虫は精を悩ませる。

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