猿田彦のミチを開くvol.4 椿大神社
伊勢国一宮「椿大神社」へ…
一宮とは社格制度のことで、
平安から鎌倉時代にかけて成立。
律令制での令制国の一宮のこと。
ちなみに…
大和国 大神神社、
和泉国 大鳥神社、
河内国 枚岡神社です。
参道脇に磐座がありました。
ここは瓊々杵尊(ににぎのみこと)が
天孫降臨の際に乗っていた船が
到着したとされる場所。
「御船磐座」(みふねのいわくら)
瓊瓊杵尊は
高千穂に降臨した?ココは?
実は本居宣長は『古事記伝』で、
サルタヒコという神を問題に
することを避けていました。
宣長は松坂に生まれ、
強い天照大神信仰の人でした。
日神・天照大神と敵対・矛盾する
サルタヒコの性格を持つこと
あばかざるを得ないことを、
恐れたのやもしれません。
伊勢の太陽信仰は、
「漁」をするサルタヒコ、
海洋民系の太陽信仰。
日向の渡来系のそれとは、
異なる神の存在が見え隠れ…
この謎については、
後ほど触れたいと思います。
謡曲「鈿女」(うずめ)…
いまでは神事能とし復曲、
毎年の春の例大祭に
演能されているそうです。
3つめ鳥居の明神鳥居、
別名「断り乃鳥居」とも。
江戸時代中期、
この地の藩主 本多氏は、
城門を作るために
神域内の大木を伐採。
城門は完成したのですが、
一夜にして焼失したとか…
伐採した木が御神木だったとか…
藩主は神威を畏れ、
この鳥居を奉納と伝わります。
伊勢神宮を創建された、
第11代 垂仁天皇の
皇女 倭姫命の神託により、
猿田彦大神が奉られたのは、
紀元前3年のこととされ、
伊勢神宮が今の地に
祀られた時期に重なります。
社伝によれば、
鈴鹿山系中央に位置する
入道ヶ嶽と椿ヶ嶽を
天然の社として、
神代より祭祀されてきた
神霊なる地。
入道ヶ嶽山頂に鎮座する
奥宮の大祭では、
猿田彦大神の御神跡
「いしぐらの磐座」、
「いしがみの磐座」
が見られるそうです。
この日もトレッキングな、
人たちが多く見られました。
垂仁天皇の代に伊勢の
皇大神宮鎮座にあたって、
猿田彦命の末裔とされる
山本神主家が司っていたとか…
崇神天皇のころに神名使用が
禁じられたために修験神道の
「行満」と称したと伝わります。
拝殿横にある鉄砲柱は、
松戸市にある佐渡ヶ嶽部屋から
奉納されたもの「氣魄(きはく)」。
車輌清め祓いの
「獅子堂」にある獅子頭、
目が血走っています。
眼力といえば…
天津神であるアメノウズメと
国津神であるサルタヒコは、
凄まじい眼力を持っていました。
伊勢は朝日の昇る日昇地、
出雲は夕日の沈む日没の地。
高天原という
天上他界につながり、
天皇家の祖神 天照大神。
片や黄泉の国、
幽世(かくりょ)統治の
国造りの神・大国主神。
『古事記』にはこうあります。
「天の八衢に居て、
上は高天原を光し、
下は葦原中国を光す神」
天地の分岐点にあって、
天上と地上を共に照らす
光の神としてのサルタヒコ。
天孫の行く手をさえぎる神
サルタヒコ…
古層の神話では瓊瓊杵尊は、
後ほど触れたいと思います。
謡曲「鈿女」(うずめ)…
いまでは神事能とし復曲、
毎年の春の例大祭に
演能されているそうです。
3つめ鳥居の明神鳥居、
別名「断り乃鳥居」とも。
江戸時代中期、
この地の藩主 本多氏は、
城門を作るために
神域内の大木を伐採。
城門は完成したのですが、
一夜にして焼失したとか…
伐採した木が御神木だったとか…
藩主は神威を畏れ、
この鳥居を奉納と伝わります。
伊勢神宮を創建された、
第11代 垂仁天皇の
皇女 倭姫命の神託により、
猿田彦大神が奉られたのは、
紀元前3年のこととされ、
伊勢神宮が今の地に
祀られた時期に重なります。
社伝によれば、
鈴鹿山系中央に位置する
入道ヶ嶽と椿ヶ嶽を
天然の社として、
神代より祭祀されてきた
神霊なる地。
入道ヶ嶽山頂に鎮座する
奥宮の大祭では、
猿田彦大神の御神跡
「いしぐらの磐座」、
「いしがみの磐座」
が見られるそうです。
この日もトレッキングな、
人たちが多く見られました。
垂仁天皇の代に伊勢の
皇大神宮鎮座にあたって、
猿田彦命の末裔とされる
山本神主家が司っていたとか…
崇神天皇のころに神名使用が
禁じられたために修験神道の
「行満」と称したと伝わります。
拝殿横にある鉄砲柱は、
松戸市にある佐渡ヶ嶽部屋から
奉納されたもの「氣魄(きはく)」。
車輌清め祓いの
「獅子堂」にある獅子頭、
目が血走っています。
眼力といえば…
天津神であるアメノウズメと
国津神であるサルタヒコは、
凄まじい眼力を持っていました。
伊勢は朝日の昇る日昇地、
出雲は夕日の沈む日没の地。
高天原という
天上他界につながり、
天皇家の祖神 天照大神。
片や黄泉の国、
幽世(かくりょ)統治の
国造りの神・大国主神。
『古事記』にはこうあります。
「天の八衢に居て、
上は高天原を光し、
下は葦原中国を光す神」
天地の分岐点にあって、
天上と地上を共に照らす
光の神としてのサルタヒコ。
天孫の行く手をさえぎる神
サルタヒコ…
古層の神話では瓊瓊杵尊は、
伊勢に近いこの場所に
降臨したとみてよいのかと…
実は本居宣長は『古事記伝』で、
サルタヒコという神を問題に
することを避けていました。
宣長は松坂に生まれ、
強い天照大神信仰の人でした。
日神・天照大神と敵対・矛盾する
サルタヒコの性格を持つこと
あばかざるを得ないことを、
恐れたのやもしれません。
伊勢の太陽信仰は、
「漁」をするサルタヒコ、
海洋民系の太陽信仰。
日向の渡来系のそれとは、
異なる神の存在が見え隠れ…
アマテラスとサルタヒコは、
二種の太陽神だったのかも?
二種の太陽神だったのかも?
※このブログは
鎌田 東二 編『謎のサルタヒコ』創元社 1997年
を参考にしました。