いなりん と 宝珠
豊川稲荷といえば稲荷寿司。
ゆるきゃら「いなりん」。
豊川いなり寿司を全国に広めるため、
毎日「なりん星」から遊びに来ている。
早く豊川市に住みたいが、
早く豊川市に住みたいが、
子供であるがゆえのため許可が出ない。
とか??
NPO法人「豊川いなり寿司」なんかで
ついついLINEスタンプ ゲットしたなり。
「いなりずし」ですが…
稲荷にお供えしてあった油揚げの中に
ご飯を詰めてお寿司にしたものが起源とか…
諸説はいろいろとあるそうですが、
19世紀に入ってからの名物なのだそうです。
豊川市をもりあげ隊としてNPO法人「豊川いなり寿司」なんかで
地産地消も目論んではるのです。
おとなりの豊橋市のヤマサちくわさんの
大葉の天ぷらとチーズちくわ おいなりさん。
おとなりの豊橋市のヤマサちくわさんの
「ちくわ稲荷寿し」を頂きました。
「豊橋は日本一の大葉の産地」
「豊橋は日本一のうずら卵の産地」
「豊橋は日本一のうずら卵の産地」
とある掛紙…ってことは、
ちくわと稲荷は日本一ではないのですね?
右から
ちくわに梅肉が入っている おいなりさん。大葉の天ぷらとチーズちくわ おいなりさん。
うずら玉子の燻製とちくわ おいなりさん。
そしてカンピョウ巻きにも ちくわ がおりました。
実は、創業明治22年の「壺屋」と
文政10年「ヤマサちくわ」のコラボ駅弁なのです。
文政10年「ヤマサちくわ」のコラボ駅弁なのです。
ヤマサさんは1827年(文政10)の創業、
「鉛は金に変わらない」ってのが社是。
一見本物に見える金のかたまりも、
地金が鉛では決して本物とはいえないってこと。
原料、人、技術、全てが本物だからこそ
原料、人、技術、全てが本物だからこそ
生まれる「旨さ」は昔も今も変わりませんね。
豊川名物といえば「宝珠まんじゅう」。
豊川稲荷総門前にある喜楽さんの銘菓。
ところで
あの中日ドラゴンズの前身、
にも豊川稲荷の宝珠の刺繍されてたとか。
というのも...ドラゴンズは1938年に、
大日本野球連盟・名古屋協会としてスタート。
「名古屋軍」が通称で、
当時の親会社は「新愛知新聞」でありました。
新愛知の社章は「お稲荷さんの宝珠」化された
「しんあいち」の文字。
「し」は下の円で、
「ん」はその中の波のような模様。
上の炎の部分は右から
「あいち」を表していました。
「名古屋軍」であった時代のうち、
1937年〜1943年ごろまで袖章に、
「しんあいち」の社章が豊川稲荷の宝珠風に
アレンジされた袖章が付けられていたです。
1939年ごろまではこのタイプ。
しんあいち の文字の面影…
1940年ごろの袖章は、
総刺繍のワッペンで原形が不明…
戦況が激しくなって国防服風になるまで、
この宝珠が付けられていたそうです。