「KANO」列伝① 平野保郎

「1番 レフト 平野保郎」
   (1907-1982)

原住民族アミ族。
本命はポロ、漢名は羅保農。
「日本名は嘉義農林に
 入学してから付いたもので、
 「ほろう」と読めば本名に通じる。」

元マラソン選手。
甲子園では15打数8安打で.533の
高打率を記録したKANOの先頭打者。
そして4盗塁を遂げている。
平野保郎さんは嘉義農林でもともと
陸上部のマラソン選手だっところを、
足の速さを見込まれて
野球部に抜擢されたのだそうです。
1931年8月、
甲子園大会進出を決めたときのもの。
写真に収まっているのは左から、
レフト   平野保郎 (羅 保農)
キャッチャー東 和一 (藍 徳和)
サード   真山卯一 (拓 弘山)
ショート  上松耕一 (陳 耕元)
1931年7月19日の第9回全島中学校野球大会。
甲子園大会出場かけた予選。この決勝戦で、
嘉義農林は台北商業を破って優勝。
8年間台北勢が独占していた優勝旗が、
初めて「濁水渓」を渡るという快挙を達成。
近代スポーツをはじめ北部に比べて、
南部は遅れているという意識を
払拭した瞬間でもありました。
「対札幌商戦で2回裏に放った左翼越の
 本塁打は嘉義農林が甲子園で放った
 唯一の本塁打である。
 そしてこれが台湾代表としては
 甲子園通算6号目にして、
 最後のホームランとなった。」

ちなみに嘉義農林を卒業後、故郷に戻って、
台東農業試験場に就職された。
台湾東部の野球の発展にも尽力されたとか。
あるフルーツの育て方の秘訣が出てきますよ、
この映画の根っこにあるエピソードは、
こんな彼の経歴によるものかもしれません。
ちょっと楽しみにして観てみてください。

このブログは
『KANO 1931海の向こうの甲子園』
  を参考にしました(・ω・)v 

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