折口信夫の生誕地

国文学者であって民俗学者、
そして歌人として知られる「折口信夫」の
生誕の地の碑は「鴎町公園」にある。

1887年2月に医師であった 

折口秀太郎 の四男として、
当時の西成郡木津村市場筋に生まれた信夫。
国学院大学を卒業してのち2年半ほど、
府立今宮中学校(現今宮高校)の
教壇に立ったことがあるとか。

柳田國男の影響を受けつつ、
民俗学を国文学に取り入れた人物です。
彼の本は大学の頃に図書館で見たことが…
どれもムズカシイ本だったように思い出されます。

文学碑には『十日戎』の一文が刻まれていた。
「ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかに
 おのづからわれも待ちごゝろなる」

「正月がすむとすぐ十日戎である
 今宮の戎前から難波の入堀
(イリホリ)川に面した
 お藏跡
(クラアト)まで十丁あまりの間に
 ずつと子寶
(コダカラ)店その外の店が出て
 揉み返すやうな人ごみである 
 其中を壓され壓されて來る色町の
 ほい駕籠を見に出た記憶が消えない」

「ほい駕籠」は芸妓衆を乗せてにぎやかに
参詣する宝恵駕籠のこと。
明治の頃の情景には当時の賑わいが伝わってくる。
正月がすむとすぐに十日戎で、
商都・大阪は初詣よりも
えべっさん」の方が盛り上がる。

こちらは「敷津松之宮」にある歌碑。
「春はやきこぶしのうれひさきみちて
 たゞにひと木はすべなきものを」と刻まれれる。

彼の墓所は本人の希望通り
折口春洋ともに福井県羽咋市に埋葬されているが、
ほど近い「願泉寺」にも分骨されている。

その「願泉寺」は江戸時代には、
紀伊徳川家の参勤交代の陣屋となっていたようで、
徳川家より三ツ葉葵の寺紋を許されている。
かつて伊達政宗が寄進した客殿・茶室が
国宝としてあったのだが、戦災で焼失している。

作庭家・相阿弥の作とされる庭園は復元されいて、
武者小路千家の茶室である「相應庵」が奥に見える。

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