ハマの洋館めぐり 横浜英国総領事館
開港広場に面したところにある
「横浜開港資料館旧館」は、
1931年(昭和6)にイギリス工務省の設計。
当時の横浜には多くの領事館が建てられていて、
外交舞台はまさしく横濱の地にあった。
ペリーが来航して結ばれた日米和親条約は、
この横浜開港資料館の中庭にある
玉楠の木の下で行われたと伝わる。
現在の木は関東大震災で
焼け残った根から再生したものだが、
今は見事な玉楠の木に成長している。
「横浜開港資料館旧館」は、
1931年(昭和6)にイギリス工務省の設計。
当時の横浜には多くの領事館が建てられていて、
外交舞台はまさしく横濱の地にあった。
ペリーが来航して結ばれた日米和親条約は、
この横浜開港資料館の中庭にある
玉楠の木の下で行われたと伝わる。
現在の木は関東大震災で
焼け残った根から再生したものだが、
今は見事な玉楠の木に成長している。
大きな玉楠の木を前にして正面玄関。
二本のコリント式円柱と、
八角形の文様があしらわれる半円アーチ。
英国人のために英国人が設計した建物は、
多くの資材を英国から取り寄せたのだという。
18世紀に英国で流行していた
ジョージアン様式なのだといわれる。
蔦の絡まる壁面は人造石で仕上げられていて、
3階の窓はミナトらしい丸窓が見える。
記念ホールには関東大震災の犠牲になった
領事館員らを悼む銘板があった。
二本のコリント式円柱と、
八角形の文様があしらわれる半円アーチ。
英国人のために英国人が設計した建物は、
多くの資材を英国から取り寄せたのだという。
18世紀に英国で流行していた
ジョージアン様式なのだといわれる。
蔦の絡まる壁面は人造石で仕上げられていて、
3階の窓はミナトらしい丸窓が見える。
記念ホールには関東大震災の犠牲になった
領事館員らを悼む銘板があった。