柳川を征く〜戸島家住宅


柳川旧城内地区の西端の一角に、
旧柳川藩士の隠宅 戸島邸。
柳川藩で中老職の要職に就いていた
吉田兼儔が隠居後の住処。
庭園と共に建築した葦葺二階建ての建物は、
後に藩主の立花家に献上されたもの。

数寄屋風の意匠を持つ葦葺屋根の建物、
堀割から水を引き入れた池は、
国の名勝庭園に指定されています。

6畳の玄関

外廊下より "なかのま"へ

"なかのま"の西面の戸
李白の漢詩「獨酌」
 春草如有意 羅生玉堂蔭
 東風吹愁来 白髪坐相侵
 獨酌歡孤影 閒歌面芳林
 長松爾何知 蕭瑟爲誰吟
 手舞石上月 膝横花間琴
 過此一壺外 悠悠非我心 とある。

春の草は、さながら、心あるが如く、
《楚辞、九歌、少司命》にいう
玉堂の陰に羅列して生じ、
眼前の景色は、極めて長閑である。
しかも、東風は、
愁をともなって吹いてくる、
白髪は、知らぬ間に我を侵すので、
この時、この愁を消遣するには、
酒が第一である〜〜そんな漢詩らしい。

そしてこう続く…
しかし、どうあれ、酒あればこそであり、
この酒は自分の命であって、
この一壺の外は、
萬物は悠悠としてあるのは、
我が心を解せぬものばかりである。

仏間には 張謂の「湖中對酒作」の一節
 眼前一樽又長滿 心中萬事如等閑
が刻されています。
「目の前にある一つの酒つぼはまた、
 いつもいっぱいに酒をみたしている。
 こうして心の中には何もかも、
 一つも気にかかるものが
 なくなってしまったようだ。」
主はよほどの酒好きだったのだろうか。

座敷竹欄間

茶室東面
竹柱、竹の落し掛それに
三日月の竹下地窓など、
中国の竹林七賢人への憧れか。

茶会の待合いでもある入側、
中秋の名月には縁側は、月見席に。

座敷南側西の杉戸絵
中秋に似合う秋草、薄、萩など

襖の中央に、障子がはめ込まれている。
ユニークな意匠もあちこちに。
違い棚にも竹が使われ、
違い棚の上部は神棚が祀られる。

「古柏行」という杜甫の漢詩

こちらは屋内にある杉戸絵なので、
キレイに遺されています。



福岡県の1931年に実施調査によると、
建築は古く寛政年間(1789~1800)とされ、
庭園の石碑や建造物、古文書の調査から
1828年(文政11)の建築と考えられています。

主座敷から広縁越しに眺める池泉鑑賞式庭園。
“柳川城堀”の水を引き入れ、
その流れがL字型にカーブを描いて、
再び柳川城堀へと。
雨が降ると池の水位も上がる作りとか。

洲浜や護岸石組など規模は小さいが、
構成要素はほぼ揃っています。

維新の頃に藩兵の調練所として
徴発された宅地の代償として、
立花家から由布氏に下賜され、
1882年(明治15)頃に由布氏が転居、
戸島氏の所有となったようです。

こちら寝室
戸棚や引き出しが設置されていますが、
中でも北側の戸棚は内部に仕切りがなく、
北側の部屋からも使用できる
工夫がされています。

とにかく隅々までキレイに遺されていて、
そのことを係の方に伝えると、
「日々の積み重ねです。」





「旧 戸島家住宅」
 福岡県柳川市鬼童町49-3
 休館日 火曜日

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