『地図で読み解く日本の戦争』を読み終えて…

「つまり、国家の独立をを守るためには、
国境を守るだけでは駄目で、
国境に隣接する地域を保護することが
不可欠だとする考えである。
日本にとっての「利益線」とは、
朝鮮半島を意味した。」
『地図で読み解く日本の戦争』という新書で
はじめて出会った言葉「利益線」。

日本が航空写真に手がけたのは
満州国をつくったころかららしい、
奉天に「写真処」ができて、
空中写真測量事業が開始されたのだそうだ。

「地図は国家 地図は武器」と帯にあるように
地図は国家財産であったので、
まさに生死を分かつ存在でもあったのである。

占領地支配というのが行われていた時代、
占領した都市では、地図の鹵獲(ろかく)。
「ぶんどり」というか、
相手陣営から「かすめる」ことが行われた。
だから前線で戦うときは地図を携行せず、
万一陥落や下野しそうになったとき備えていた。
まさに地図は奪われてはならない
重要なアイテムだったのである。
いわゆる「支那事変」に発する長期戦、
「日本国民がこぞって提灯行列で祝った」
あの1928年を分岐点として、
出口のみえない泥沼戦争に突入していく。
そのなかでベストセラーになったのが
「戦局地図」というものであった。
国威発揚は偏った戦争観が、
「戦局地図」という存在がさらに
膨張させていって「大本営発表」しかない
状況を支えていたようである。

その後の約3年9ヶ月続いた
太平洋戦争=「大東亜戦争」は、
「帝国海軍が予想したような艦隊決戦は
ほどんど惹起※しなかった。
戦争の勝敗を決定づけたのは、
太平洋の孤島をめぐる争奪戦であった。」という。
つまり一か八かのバルチック艦隊撃破以外、
際立った戦略を企図していなかったということ、
いわゆる島の奪い合いである
「島嶼(とうしょ)戦」についての
研究はほとんど手付かずだったようである。
つまり、島々の地図をきちんと
整備されていなかった...
南方線のジャングルで地図なく、
さまよう兵士たちの存在はそんなところに、
理由があったのだという。

※惹起 【ジャッキ】
事件、問題などを引き起こすこと

島嶼戦には陸海軍の連携が必須なのだが、
戦略分野で担当を分けておらず
地域ごとにいわゆる「持ち分」が
決められていたことも問題があったようである。
海軍には当時世界第3位と言われながらも、
「依然として「専守防衛」一本だったのである。
それでいて、
今でいう補給線確保やシーレーン防衛
という発想は皆無であった。」。

地図はみんなのものになりつつあるのは、
グーグルマップという民間の会社の
いわゆるWeb2.0以降のことになる。

ただ、ネットにマッピングする個人の情報は、
その向こう側で移動線として
情報が「行動履歴」として鹵獲されている。
戦略的な地図利用は終わることがないのであろう。

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