静岡の旅 久能山東照宮をたずねる4
久能山は推古天皇の時に久能忠仁という人が、
初めて山を開き一寺を建て観音菩薩を安置。
「久能山」の名の由来を辿ると、
そこに辿り着きます。
武田信玄は久能山が要害として
山上に城砦を設け「久能城」と称します。
武田氏滅亡とともに徳川氏の地となり、
その後東照宮を建立し今にに至っています。
久能山東照宮には...
日本平から1957年に開通した
「日本平ロープウェイ」にて向かいました。
葵の御紋が施された御駕籠にて。。。
日本平と久能山東照宮との間は、
屏風谷とよばれる峡谷になっています。
ガイドさんの話によると...
太古の昔、
日本平のある辺りは海底だったとか。
地盤の隆起により小高い丘陵に。。。
その後駿河湾に面する南側は、
柔らかい砂礫質ということもあって、
海流と風雨によって浸食されて、
屏風のように急峻な斜面に削られたとか。
いまなお少しずつ崩れ落ちてるそうです。
ロープウェイができるまでは、
駿河湾側からの石段のみが東照宮への参拝路。
蒸し暑さが予想されていましたし、
日本平ホテルにも寄りたかったので...
1159段の段の石段は...
下りにて候...
1159は「いちいちご苦労さん」と
呼ばれているそうです。
こちらは与力が詰めていた「門衛所」。
江戸時代の頃は参拝には
制限がかけられていたそうです。
駿河湾の絶景は下りだから、
小汗程度で楽しめたのだと思います。
さらに続き...
これを登っていたらと思うと。
ゾッとします。
久能山下から見上げるとこんな感じ。
「石垣いちご」が名産だとか・・・
地盤の隆起により小高い丘陵に。。。
その後駿河湾に面する南側は、
柔らかい砂礫質ということもあって、
海流と風雨によって浸食されて、
屏風のように急峻な斜面に削られたとか。
いまなお少しずつ崩れ落ちてるそうです。
ロープウェイができるまでは、
駿河湾側からの石段のみが東照宮への参拝路。
蒸し暑さが予想されていましたし、
日本平ホテルにも寄りたかったので...
1159段の段の石段は...
下りにて候...
1159は「いちいちご苦労さん」と
呼ばれているそうです。
こちらは与力が詰めていた「門衛所」。
江戸時代の頃は参拝には
制限がかけられていたそうです。
駿河湾の絶景は下りだから、
小汗程度で楽しめたのだと思います。
さらに続き...
これを登っていたらと思うと。
ゾッとします。
久能山下から見上げるとこんな感じ。
「石垣いちご」が名産だとか・・・
石垣栽培は、温室のない明治時代のころに
暖めるために石垣の間にイチゴを
植えたことに始まったといわれています。
今はハウス栽培ですが、石垣は健在です。
もともとは玉石で石垣を作っていたそうですが、
1923年にコンクリート板が考案され、
その後改良されて石垣栽培の面積は増加し、
暖めるために石垣の間にイチゴを
植えたことに始まったといわれています。
今はハウス栽培ですが、石垣は健在です。
もともとは玉石で石垣を作っていたそうですが、
1923年にコンクリート板が考案され、
その後改良されて石垣栽培の面積は増加し、
静岡の名産の一つになったのだそうです。