真田の抜け穴〜三光神社

かつては大坂城の出城が置かれていたという、
真田山にある「三光神社」へ…

大坂の冬の陣のときに真田幸村が
大坂城からここまで掘ったと伝わる
史蹟 真田の抜け穴」。

籠城を決め込んだ大坂方に対して、
業を煮やした徳川家康が掘らせたものとか、
実際のところはそんな感じなのだそうですが…

そんな説を一蹴するだけの構えがあり、
六文銭が刻まれた頑丈な鉄扉。

真田幸村像の台座は、
信州上田の真田家菩提寺・長谷寺から
取り寄せられたという「真田石」。

戦後間もない時期まではここによく似た
「抜け穴」なるものが空堀通の南側に点在したとか。
いまなお太閤贔屓の大阪人が伝えてきた、
幸村に対する敬慕の現れの一つともいえます。

こちらは真田丸の中心といわれる
心眼寺」門前にある「幸村出丸城跡」の碑。
数百m離れた餌差町交差点の近くにあります。

三光神社は社伝によれば、
反正天皇の時代の創建といわれ、
古代は河内湖に面していて、
かつては「姫山神社」と呼ばれていて、
一帯は「姫の松原」が広がっていたようです。
今は桜の木がここかしこにあり、
春には華やいだ雰囲気につつまれるとか。

神社の裏手にあるのが「旧真田山陸軍墓地」。
わが国最初の陸軍墓地で、
1871年に兵部省が設置したもの。

近代日本の戦争と軍のありようを
現在に伝える貴重な歴史的遺跡です。
5000基以上の墓石群が
荘厳な雰囲気を醸し出していました。

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