大坂城めぐり「千貫櫓」
1620年創建の城内最古の建物「千貫櫓」、
大手口からみると「多聞櫓」と
一つづきのように見えます。
ということで…
「大手口 多聞櫓」より「千貫櫓」へ。
大手口からみると「多聞櫓」と
一つづきのように見えます。
ということで…
「大手口 多聞櫓」より「千貫櫓」へ。
大手口を北側から守る 隅櫓(すみやぐら)で、
西と南は西外堀を見下ろしています。
1階と2階ともに内室があり、
その周りと廊下の「武者走り」が囲みます。
第二次世界大戦の空襲まで西隣にあった
「坤櫓(ひつじさるやぐら)」は
ほぼ同規模だったようですが、
「千貫櫓」の方が格上やったようです。
というのも…
「唐破風(からはふ)」が付いている。
天守閣の一番上の屋根にもあるので、
まさに天守閣級ってこと??
「唐破風」っていうのは、
中国の「唐」って意味じゃなく、
イマ風って意味に近く実は日本独自のモノ。
鎌倉時代に生まれて、
安土桃山時代に最も隆盛を迎えた様式なので、
城郭にはよくみられる様式のこと。
切妻のむくり屋根の先に
曲線を連ねた形状の破風板が付いてる。
勾配は時代が新しいほど急になってくる。
古いお風呂屋さんとか…
「地車」なんかにも施されています。
豊国神社で「地車」が一堂に会してた。
「千貫櫓」の名前は石山本願寺時代に遡る。
本願寺と織田信長との戦い「石山合戦」で、
攻めあぐねた櫓を
「千貫文の賞金をだしても奪いたい」と、
語られたという戦記に由来する名。
信長が治めた大坂の地は、
本丸を重臣 丹羽長秀(にわ ながひで)、
そして「千貫櫓」は 織田信澄(のぶすみ)に。
まさに天守閣級の扱いだったようです。
こちらは西の丸の西北を守る隅櫓、
西北=戌亥なので「乾櫓(いぬいやぐら)」。
現存するこの櫓には「唐破風」はみられない。
この「乾櫓」は西の丸庭園内にあります。
「大阪城天守閣復興80周年祭」イベントとして、
11月15日(火)から20日(日)まで、
「焔硝蔵(えんしょうぐら)」とともに
特別公開されるそうです。
今から楽しみにしておきます (・ω・)v