福山城をめぐって・・・
「福山城」は徳川幕府の西国鎮護の拠点で、
1619年に 水野勝成 に治めさせた、
備後10万石の譜代大名の城。
移封された 福島正則 の跡を受けて、
はじめは神辺城に入ったそうですが、
山陽道や瀬戸内海ににらみのきく
この福山の地を選んだそうです。
水野勝成は徳川家康の従兄弟にあたり、
その後水野氏が5代、松平氏1代、
阿部氏10代と…廃藩置県まで続きます。
天守閣は第二次世界大戦で焼失し、
福山市市政50周年事業として
1966年という「城郭復興ブーム」
まっただ中に復元されていたものとは、
知っていたので覚悟はしていたのだが・・・
「鉄筋コンクリート」むき出しで、
風情が感じられない上に、
展示スペースには動線が曖昧(涙)
「福寿会館」を見下ろすことが
最大の登城の目的だったので、
とにかく階段をかけ上がって・・・
撮影オーケーの最上階にたどり着く。
北側はほんとJR福山駅と目と鼻の先。
当時の本丸も距離があまりなかったので、
北面は黒い総鉄板張りで大砲なんかの
砲撃戦への備えを設えていたとか。
最上層にめぐらされた「赤い欄干」は、
焼失前の写真にはなかった。
もう少し荒々しい表情を見せていた。
岡山城や広島城とかにくらべて
少し違った印象をみせるのは、
復元の正確さよりも風情が
重視されているのだろうか・・・
クルマを停めたエリアが見える。
右が「ふくやま美術館」、
左が「広島県立歴史博物館」。
遠くにみえるの大聖堂???
実は「ホーリーザイオンズパーク
セント ヴァレンタイン」という、
とっても長い名前の結婚式専門の教会。
2004年に建てられたもので、
世界遺産のスペインの「ブルゴス大聖堂」が
モチーフなんだけど歴史的建築物ではない。
天守閣に対峙して建てられているのが
「御湯殿」という京都の伏見城からの移築。
天守とともに焼失したものを復元されたもので、
ともに国宝に指定されていたそうだ。
ただ・・・解説文に刻まれる
「内外ともに復元された」というのは、
ちょっと疑問視されているとか。
というのも内部の記録は図面、写真ともに
残っていないからだそうで、
「湯殿」とはいえ福山に移築されてからは、
お風呂としては使われていなかったらしく、
別の用途に転用されていたようだ。
それに江戸時代には「御湯殿」ではなく、
「御風呂屋」って呼ばれてたらしい。
「御湯殿」と呼び出したのは明治以降らしく、
銭湯と誤解されるのを避けたのだと。
「鏡櫓」も明治6年廃城の際に
とりこわされたものの復元。
ホンモノを探しにJR福山駅方面へ、
風格のある脇戸付けの櫓門で、
屋根は入母屋、本瓦葺き。
これも伏見城から移築されたもの。
柱の角に筋鉄を施し、扉に十数条の
筋鉄を打ちつけてあることから、
「筋鉄御門」と呼ばれる。
やっぱモノはちがうよな(・ω・)v
石垣に見とれてしまった。
ブラブラしてたら…
水野勝成銅像 の立つ 東二之丸 に、
「福寿会館」の近くに戻っていた。
先を急いでいたので・・・
豪華な白壁三層の姿の「伏見櫓」なんかを、
カメラに納めていなかった。
ちゃんと予習しておけばヨカッタわい。
駅チカだからまた寄り道するかな。。
※この記事は
「備後南部(福山)史跡
データベース化プロジェクト」
のHPを参考にさせてもらいました。
1619年に 水野勝成 に治めさせた、
備後10万石の譜代大名の城。
移封された 福島正則 の跡を受けて、
はじめは神辺城に入ったそうですが、
山陽道や瀬戸内海ににらみのきく
この福山の地を選んだそうです。
水野勝成は徳川家康の従兄弟にあたり、
その後水野氏が5代、松平氏1代、
阿部氏10代と…廃藩置県まで続きます。
天守閣は第二次世界大戦で焼失し、
福山市市政50周年事業として
1966年という「城郭復興ブーム」
まっただ中に復元されていたものとは、
知っていたので覚悟はしていたのだが・・・
「鉄筋コンクリート」むき出しで、
風情が感じられない上に、
展示スペースには動線が曖昧(涙)
「福寿会館」を見下ろすことが
最大の登城の目的だったので、
とにかく階段をかけ上がって・・・
撮影オーケーの最上階にたどり着く。
北側はほんとJR福山駅と目と鼻の先。
当時の本丸も距離があまりなかったので、
北面は黒い総鉄板張りで大砲なんかの
砲撃戦への備えを設えていたとか。
最上層にめぐらされた「赤い欄干」は、
焼失前の写真にはなかった。
もう少し荒々しい表情を見せていた。
岡山城や広島城とかにくらべて
少し違った印象をみせるのは、
復元の正確さよりも風情が
重視されているのだろうか・・・
クルマを停めたエリアが見える。
右が「ふくやま美術館」、
左が「広島県立歴史博物館」。
遠くにみえるの大聖堂???
実は「ホーリーザイオンズパーク
セント ヴァレンタイン」という、
とっても長い名前の結婚式専門の教会。
2004年に建てられたもので、
世界遺産のスペインの「ブルゴス大聖堂」が
モチーフなんだけど歴史的建築物ではない。
天守閣に対峙して建てられているのが
「御湯殿」という京都の伏見城からの移築。
天守とともに焼失したものを復元されたもので、
ともに国宝に指定されていたそうだ。
ただ・・・解説文に刻まれる
「内外ともに復元された」というのは、
ちょっと疑問視されているとか。
というのも内部の記録は図面、写真ともに
残っていないからだそうで、
「湯殿」とはいえ福山に移築されてからは、
お風呂としては使われていなかったらしく、
別の用途に転用されていたようだ。
それに江戸時代には「御湯殿」ではなく、
「御風呂屋」って呼ばれてたらしい。
「御湯殿」と呼び出したのは明治以降らしく、
銭湯と誤解されるのを避けたのだと。
「鏡櫓」も明治6年廃城の際に
とりこわされたものの復元。
ホンモノを探しにJR福山駅方面へ、
風格のある脇戸付けの櫓門で、
屋根は入母屋、本瓦葺き。
これも伏見城から移築されたもの。
柱の角に筋鉄を施し、扉に十数条の
筋鉄を打ちつけてあることから、
「筋鉄御門」と呼ばれる。
やっぱモノはちがうよな(・ω・)v
石垣に見とれてしまった。
ブラブラしてたら…
水野勝成銅像 の立つ 東二之丸 に、
「福寿会館」の近くに戻っていた。
先を急いでいたので・・・
豪華な白壁三層の姿の「伏見櫓」なんかを、
カメラに納めていなかった。
ちゃんと予習しておけばヨカッタわい。
駅チカだからまた寄り道するかな。。
※この記事は
「備後南部(福山)史跡
データベース化プロジェクト」
のHPを参考にさせてもらいました。