黄・赤・青日記 第7回 桃れんじゃー?



広島を満喫し
旅はつづく

いざ岡山へ
!!!













虎次郎は実はよく小さい頃「岡山県」に
   遊びに行っていました。
小豆島は香川県だけど「小豆島」への船は
宇野港や岡山港からの出発だし、
瀬戸大橋のない時代は宇野と高松の
宇高連絡船でかならず岡山で降りたものだ。
















  【「後楽園」唯心山から沢の池をのぞむ】



でも、岡山市内観光って記憶がない。
母にいわせると幼稚園の頃に
   「後楽園」に行ったと。
桃を岡山駅で4個も食べた
   ことは覚えているが。。


岡山のシンボルは
やっぱり「桃」だ!!
お城まで路面電車が走る
大通りは「桃太郎大通り」
架線には「桃」マークが。






日本三代名園の「後楽園」
にある亭舎のひとつ
「廉池軒」の
灯籠の宝珠も
  「桃」の形だ。




















この「廉池軒」(れんちけん)
池田綱政が最も好んだ建物。
戦災をまぬかれた数少ない建物。
でも「結婚式」や「講演会」
なんかにも貸し出しされているそうです。


こちらは
亭舎の中央に水路が通る
日本の庭園建築のなかでも
異彩を放つ存在だそうだ。
藩主の庭廻りの
 いっときの休息の場。
いかにも涼しげだ。





色彩に富んだ奇石六個
これを前で賓客との
何気ない会話が
藩政を支えていたのかも
 しれませんね。






雨降りのあとにも関わらず、キレイな雰囲気。
それを支える人たちの苦労に思いをよせながら、
ゆったりとした時間を過ごしました。















明るく芝の緑が広々とした
庭園の佇まいをみせていますが、
実は築庭当時は、沢の池の西側にある
「延陽亭」とよばれる
藩主の居間から見える範囲だけに
とどまっていたようです。
園内の大半は田畑でいまでも
茶畑や井田(せいでん)などに
その面影を残しますが、
園全体に日本自生の野芝が使われたのは
      明治以降のことだそうです。














実は「名園で 仰ぎ見る星 岡山の夏」
夜間特別開園の時間に
あわせて訪れたかったのですが、
この日は台風の影響で各地でダイヤが乱れ、
兵庫県では増水で被害も出ていたこともあり、
お昼の訪問になりました。













ちなみにこのイベントは
8月16日(日)までで、
18時から21時30分の時間帯で
      行なわれています。
ビアガーデンもあるとか。
雰囲気ダイジョウブなんだろか??


隣接する「岡山城」から
降りて来て空をながめると
青空が広がっていました
この「岡山城」の天守閣は
第二次世界大戦の
市街地空襲で
失われましたので復元です。





本丸内で
唯一戦火を免れたのが
   「月見櫓」
第五代藩主の
池田 忠雄(ただかつ)の
   時のもの。




「月見櫓」とは風流な名だが、
本来は表書院の北西を防御する存在で、
武器の貯蔵庫でもあった。
鉄砲狭間や石落としなどの仕掛けもみられる。
国の重要文化財の指定を受けている。


岡山城の主は宇喜多家小早川家
そして「後楽園」池田家の手によるもの。
主が変わるたびに重ねて
 城郭が再整備されてきました。
「烏城」(うじょう)の別名は、
太陽光に照らされると黒漆が
カラスの濡れ羽色に似ていたため、
壁が黒いのは
宇喜多 秀家
時代の名残でもあります。

今回はお供なく。。。
桃レンジャー??
 と一緒に来れればいいけどな。(爆)


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