大大阪をあるく23 芝川ビル
「芝川ビル」
唐物貿易を営んだ豪商と知られる芝川家、
四代目当主の芝川又四郎氏は、
1923年の関東大震災を目のあたりにし、
「火事・地震に強い建物」をいうことで、
江戸時代から屋敷を構えていたこの地に
「芝蘭社(しらんしゃ)家政学園」という
学校を立ち上げた。
自由でハイカラな校舎の地下には、
本格的な調理設備を備えた
調理自習室もあったらしい。
“古代南米風”の装飾には
竜山石(たつやまいし)と呼ばれる
溶結凝灰岩が使われており、
アメリカで当時流行していた
マヤ・インカ文明を思わせる装飾が
そこかしこに施されている。
カタツムリの行列。。。
一時期は来訪者が増えて、
なかには取り外して持って
帰ってしまうなんて輩がいたとか?
そんなこともあって
一時期倉庫にお蔵入りになっていたとか。
ここのビルオーナーの芝川能一さんは、
単なる賃貸ビルとして
管理運用されていたのだという。
最近になり若い近代建築愛好家たちが
このビルをフィールドに
研究活動をしてるのに影響を受け、
「芝川ビル」そのものを、
ブランドとして磨き続けていこうと決意。
保管させていた手すり装飾は、
2010年の3月にあえて
不足分を新たに作り直してまで、
すべて階段に戻し固定されたのだそうだ。
名村造船所跡地でのアート活動や
フローティングハウスの提案、
そしてあの虎次郎お気に入り
「ラバーダック」を連れてきたのは
「ラバーダック」を連れてきたのは