太陽の塔








































『ノン』
 フランス語の「ノー」という彫刻
 進歩主義に“否(ノン)”を突きつけるべく
 太陽の塔は構想されていく。

「芸術は太陽と同じだ。太陽は熱も光りも、無限に与える。
 ひなたぼっこしても
 “おい、あったかかったろう。
  じゃ、いくら寄越せ”なんて、
 手を差し出したりしないだろ?」1

「今日の社会は人間の共同体としての、
 共通のリズムを失ってしまっている。」

「こういう時代だからこそ、新しい呪文、
 切り札が必要なのだ。私が万国博に協力するのは、
 この壮大な消費をそのような切実な決め手として
 生かしたい、生かさなければつまらないと思うからだ。」

「たとえどんなきっかけで用意された場であろうと、
 万人に向かって開かれている以上、
 そのチャンスを捉えない法はないと思うのだ。
 それを全人間的な幅で生かし、
 「祭り」を本来的な意味で開ききりたい。
 私はこの大きな投企にベストをつくした。」8


「日本人に今もし欠けているものがあるとすれば、
 ベラボウさだ。チャッカリや勤勉はもう十分なのだから、
 ここらで底抜けなおおらかさ、
 失敗したって面白いじゃないかというくらい、
 スットン狂にぬけぬけした魅力を発揮してみたい。
 日本人の精神にも、そういうベラボウなひろがりがあるんだ、
 ということをまず自分に発見する。
 今度の大阪万博が新しい日本人像を
 ひらくチャンスになればうれしい。」15

「太陽の塔」は千里丘陵にひとり残されていた。
敵対視していた「大屋根」もすでにない。
万博が始まる前は
「岡本太郎が10年後にのこっていたら首をやる」なんて、
ビッグマウスがあった。

芸術の世界でも無視できない存在になっていった。
そして太郎さんは晩年、「バカ」を装う。




















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