谷中の虎と愛

谷中 安規 さんの作品。
何気なく京都国立近代美術館
買い求めた絵はがき。
実は来年は寅年なので図案にでもしようかな?
って思っていたのですが。
実は11月に祖母が他界しましたので、
年賀状を作ることがなくなりました。


祖母は東京の浅草の出身で、
京都の西陣へ丁稚奉公に来ていた
祖父に嫁いだ「大正の人」でした。

祖父はあの「ビルマの竪琴」の舞台になった、
旧日本軍激戦地 ビルマ(現在のミャンマー)を
生き抜いた人でした。

実はこのブログのアドレスの junbow
亡き祖母が虎次郎を呼ぶときは
   必ず「じゅんぼー」でした。

ところで、、、
ネットで「谷中安規 虎」
画像検索するといくつか見つかりました。


















「堂庵夢がたり」1938年













「走虎」  1935年


版画と言えば 棟方志功 さんが有名です。
昭和の初めごろに
版画雑誌『白と黒』などを主宰していた
料治熊太(りょうじ くまた)さんによると、
当時は谷中安規さんとならんで
貧しい生活を送ってい たのは
「棟方志功」その人であったという。

三重県立美術館の学芸員 土田 真紀さんは、
「木版画本来のプリミティヴな持ち味
(「プリミティヴ」という言葉の裏には、
 元来、西洋文化のある種の優越意識が潜んでいるが、
 ここではあくま で正の価値として)という点で
 最もすぐれた成果を上げたのは、
 偶然にも昭和の初めにほぼ同時に登場した、
 この2人の版画家においてで
         あったように思われる。」

彫り跡の激しさなど、
見る者を力で圧倒する棟方志功
土田さんはアンキさんにこう想いを馳せる。
「奇矯な行動と極貧の生活ぶりが
 伝説的に伝えられる谷中であるが、
 その人生は、孤独ではあっても、
 悲壮感漂うものではなかったにちがいない。」
















「虎ねむる」 1933年


彼は生涯、いつも「片思い」だったという。
一方的に愛する彼の愛は、
激しく燃えあがればあがるほど、
気味わるがられて敬遠されてしまっていたとか。

「彼の作品の中の美女はたいてい裸婦である。
 竜を伴っていたり、虎を伴っているのは、
 悩める愛の象徴である。
 それに反し、花にかこまれ、
 蝶にかこまれているのは、
 青春謳歌の追想の場合である。」

これは 料治 熊太 さんのコトバである。


ふーん虎は「悩める愛」の象徴か・・・

    

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