秘仏のイミ

「秘 仏 開 扉」

これを「ひぶつ かいひ」と読みます。

  国宝 三井寺展では数々の
  秘仏の扉が開かれました。












永らくの秘仏と言えば
法隆寺夢殿の「救済観音」
三井寺とも関わりの深いフェノロサにより
 見出されるまで白衣でぐるぐる巻きに
    されていたのは有名な話です。


梅原 猛 氏は著作『隠された十字架』で、
「夢殿と救世観音は聖徳太子の祟りを
   鎮めるため作られた」
藤原 不比等の娘の子が聖武天皇となったが、
権勢揺るぎなかったが当時の官職にあった一族に
 天然痘の前に倒れたとのことを指摘されています。



聖徳太子の無念をはらすため、
 いわば「殯(もがり)の場」として
 夢殿を 鎮魂の場 にしたのだといわれます。

時を経てあらわれた救世観音の頭と胸には、
 釘が打ち込まれていたのだそうです。

弔いとか穢れとかの佛には、
秘仏であるがゆえの

「秘仏でなければならない運命」に
            あったということです。




















国宝 智証大師坐像

 別名 御骨大師(おこつだいし)は、
円珍の遺言により没後まもなく造られ、
像内にその遺骨を納めたと伝えられています。
唐院御廟(とういんごびょう)に
 安置されている円珍肖像の根本像です。


「現代日本の仏教は葬送と密接で、
 死穢(しえ)を忌む仏教は想像しづらいかも知れない。
 しかしかつての仏教の主要な目的は、葬式ではなく
 天下泰平、玉体安穏、五穀豊穣といった鎮護国家にあった。
 万が一、鎮護国家を祈る道場が穢れれば、
 こうした祈りの験力は無くなり国は乱れ、
 玉体安穏も五穀豊穣も維持できないかも知れないのである。
 そうした結果の場に、死体を置くことは
 やはり忌避されるものだったのではないか。
 もし納骨像が作られたとしても、
 それは秘密にされたのではないか。」

サントリー美術館学芸員の 瀬山 里志 さんは、
図録解説の

『若王寺と聖護院の智証大師像について』で
 こう解説されておられます。

秘仏でありつづけた
 秘仏のイミ
 があったということでしょう。


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